ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

天声人語が許せない

朝日新聞の1面の下のほうで延々と続いているのが「天声人語」です。大学の入試問題に取り上げられた回数は数知れず、いまや「天声人語」を書き写しするためのノートが販売される始末。「天声人語」と聞くと、読んだことはないけれど、なんだかすごいものだと恐れおののく人が多いのも事実です。

私は以前から「天声人語」というネーミングにかなりの嫌悪感を持っており、事あるごとに「何が天声人語だ!」と噛み付いてきました。だって、書いているのはおっさんですよ、たぶん。そんなおっさんが「俺の声は天の声だ!それを下々の民衆にわかりやすく語ってやろうじゃないか!ぐわっはっはっは!」と言っているように思えてならないんです、「天声人語」という言葉に。めちょっこ尊大な態度じゃないですか。いくら天下の朝日新聞とはいえ、俺の声は天の声だ!などと、おこがましいにもほどがある。

もっと、謙虚に、へりくだらねばいけません。自分の意見を天の声などとんでもない。いくら大きく言っても人の声、ちょっとへりくだって、獣の声、鳥の声、虫の声。虫の声ぐらいがちょうどよいですね。「虫声人語」ぐらいがまあまあ許容範囲でしょう。語るなんてのもちょっと上から言ってますので、話すぐらいで手を打ちましょう。すると、「虫声人話」になります。

こうなると、逆に読みたくなりますね。こんな感じになります。

へっへっへ、虫でごぜぇます。虫けらのコラムなんぞ、誰が読むんだと思いますけどね、どうにかこうにか字を書いて紙面を埋めないことには、おぜぜがもらえないんでやんすよ。申し訳ありませんね。天下の朝日新聞の一面でこんなおちょんちょんなコラムでお目汚しをしてしまいまして。昔は「天声人語」という気品溢れるコラムが掲載されていたんでやんすが、ぐわぐわ団というわけのわからん団体が批判しくさりましてね、そしたらもう、あれよあれよに大炎上ですわ。「天声人語」はけしからん!ってね、言われるわけですよ。もう、どうしようもありゃしません。気がつけば、おいらが虫を名乗って「虫声人話」なんてコラムを書き殴って、とにかく紙面を埋めることになったってわけでさ。どうしようもねえ世の中っすよ。腐ってやがる、早すぎたんだ。

びっくりするぐらいに「ぐわぐわ団」というブログに掲載されている文章にそっくりです。どうしたもんでしょう、ついに朝日新聞が「ぐわぐわ団」に追いついたのでしょうか、それとも「ぐわぐわ団」が朝日新聞と肩を並べたのでしょうか。天のみぞ知る。合掌。

遊民学園高等部の小盛匹にいたろう学園長を描いてみました

自由ネコさんが新たに始められたブログ「リアル『ニート』脱出ゲーム」で、学園長を勤められている小盛匹にいたろう先生。さぞや大活躍するんだろうとわくわくしていたのですが、そんな設定はどこ吹く風。最新の記事など、自由ネコさんがエモく語りまくり、小盛匹にいたろうは姿すら見えません。サイドバーの横にいるにはいるのですが、本文には出てこない。

それはそれでものすごい潔さというか、素晴らしいことです。いろいろ最初に準備はしてみたものの、最初から初心に帰っている感じ。これこそ、自由ネコさんの持つスタイルなのでしょう。

neet-hikikomori.hatenablog.com

もはや、小盛匹にいたろうを使う気はないのかもしれません。ウルトラマンAにおいて、北斗と南が男女合体変身をするというぎっちょんすごい設定を、子どもがごっこ遊びする時に真似しにくいという理由で廃止しちゃったことがあるのですが、小盛匹にいたろうがフェードアウトしているっぽいのも、そういう感じかもしれません。

ウルトラマンAの男女合体変身が廃止された理由は諸説ありまして、

「ウルトラマンエースごっこしよ〜!」

「まあ!いやらしい!」

こういう理由もあったのではないかと推測しています。結局、南は月星人だったということで、月に帰ってしまいました。小盛匹にいたろう学園長が月星人になってしまう日も遠くないかもしれないのです。

めんどくさくなったら、月星人ということにして、月に帰ってもらう。ブログを書くときの必勝パターンですので覚えておいて損はありません。

だらだらと何を書いているのだと思われるかもしれませんが、とりあえず不憫な小盛匹にいたろう学園長を描いてみました。よろしくお願いします。合掌。

少林寺三十六房の日本語吹き替えに関して

カンフー映画史上最高傑作が「少林寺三十六房」なんだとか。

漆黒堂さんの記事を読んで、いてもたってもいられなくなり「少林寺三十六房」のDVDをTSUTAYAで借りてきました。ストーリーはあってないようなもので、主人公が少林寺で修行して強くなって悪いやつをボコボコにするという話です。その修行がとにかくいろいろあって、マネしたくなるようなのがたくさん。

池に浮かんだ木に飛び乗って向こう岸まで渡る修行の「風雲!たけし城」っぽさがたまりません。桶を腕を地面に平行にしたまま持って水汲みをするとかハードな修行もわくわくもんです。長い竿竹の先に鉄の重りをつけて、それを使って鐘を鳴らすというちょっと凝った修行があるかと思えば、砂袋に頭をぶつけるだけの単純な修行があったり、とにかく飽きずに修行を楽しむことができます。

今回は日本語吹き替えで観たのですが、注意点がひとつ。日本語の吹き替えの元データはテレビで放映したときのもの。実はこの映画、約2時間あるのですが、テレビで放映するには長すぎたのか、テレビ版はざくざくと編集されて短くなっているのです。そして、短いバージョンで日本語の吹き替えが行われたのです。しかしながら、このDVDはオリジナルに忠実に、テレビでは放映しなかった未公開シーンもそのまま、がっちょりと入っております。改めて日本語吹き替えをするほどの予算はなかったのでしょう。ぐだぐだと書いていますが結論を申し上げますと、日本語をしゃべっていたはずの主人公がちょいちょい広東語でしゃべりだして、わけがわからなくなるのです。やむなく、字幕も画面に出して、日本語を聴きながら、字幕を見ながら、ふわふわした感じで観ることになりました。

実に雑なことをする。まぁ、日本語吹き替えはおまけみたいなもんだと思ってもらっても構いませんし、はっきり言うと、あんまりセリフは重要ではありません。途中で広東語になって、字幕を読むのですが、正直なところ、読んでも読まなくても大丈夫でした。広東語で喋るシーンというのは、テレビでは不要と判断されて切られたところですので、まぁどうでもいいっちゃあいいのかもしれません。実際、そんなに「なんでここで広東語やねん!」と思うようなこともありませんでした。

洋画を日本語吹き替えで見るのは邪道という意見もありますが、そういうご意見に関しては「若いのはいいことですね。」と返させていただきます。年をとると、字幕を読むのはけっこうしんどいのです。じんわり。合掌。

面白い記事が書きたい

ぼやーんとTwitterのタイムラインを見ていた時のこと。

「面白い記事が書きたい」

というツイートを目にしました。確かに、面白い記事を書きたいです。でも、面白い記事を書こうとすると、力が入りすぎて、なんだかもんにょりした記事が出来上がることがほとんどです。

ほら!見ろ!面白いだろう!ほら!ほれ!

こんな感じで、ちっとも面白くないのに、笑わざるを得ないような漫才を見せられているような記事になるんです。やんごとなき方が突然お笑いに目覚めて、漫才を始められて、とばっちりを受けて、笑わなければ粛清されてしまうような状況の下、やんごとなき方がでっぷりしたおなかの贅肉をつまみながら「だっちゅーの!」とネタを披露される、そんな漫才。そんな漫才こそ、面白い記事を書こうと意気込んで書いた記事みたいなものなのです。わけがわかりません。

面白い記事を書こうとした結果が「だっちゅーの!」だとすれば、もはやどうしようもありません。でも、これは、面白い記事を書こうとした人すべての人がかかる病気のようなものです。たとえ、文豪・トルストイであろうとも「オモシロイキジヲカキタイ!」と意気込んでペンを握ってしまったら「ダッチューノ!」間違いなしです。トルストイの「ダッチューノ!」は満を辞して読んでみたい気がしないでもないですが、トルストイという人は顔からして怖いですし、代表作である「罪と罰」なんて、分厚くてなかなか読む気がしません。

つまり、トルストイですら面白い記事を書こうとすると失敗するのです。ならば、どうすればよいのか。答えはひとつです。

くだらない記事を書こう!

これが答えです。自分が思いつく限りのくだらない記事を書きましょう。真剣にくだらない記事に取り組んで、行き着く先が、もしかしたら面白い記事かもしれないですし、くだらない記事かもしれないのです。

同じことは「役に立つ記事を書こう!」という意気込みにも言えることです。役に立つ記事を書かねばならないと思えば思うほど、肩に力が入ってしまうのです。結局、できあがる記事は、トルストイの代表作が「罪と罰」みたいなデタラメ記事になることがほとんどです。トルストイの代表作は「戦争と平和」です。「罪と罰」はドストエフスキーです。ドストエフが好きなドストエフスキーです。間違えてはいけません。

突然ですが、サイゼリヤのイカの墨入りスパゲティです。見た目はもんにょりですが、とにかくめっちょこ美味しいです。でも、割り箸で食べるともんにょりします。合掌。