ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

マイクロソフトの呪い

ここんところエラくMacの調子が悪くて、とくに Bluetoothでつないでいるマウスとキーボードがことあるごとに「切断されました!」やら「接続されました!」などを繰り返し、スリープ状態からの復帰の場合は一向に Bluetoothがつながらないまま、もはや嫌がらせここに極まれりみたいになってしまって、どうにもこうにもならん状況だったのです。 

ここはひとつiMacにお灸をすえねばならんと思いまして、Windowsのパソコンなど持っていないにも関わらず、なぜか手元にあるマイクロソフトの有線マウスをMacにつないで使ってみることにしたのです。有線ならBluetooth関係なく使えます。

そしたら、カーソルが動くことは動くものの、ブラウザバックなどができるボタンがちっとも反応しません。これでは宝の持ち腐れなので、マイクロソフトのサイトから、マウスのドライバをダウンロードしました。途中でiMacが「確認済みのサイトではありません」とかいろいろと文句を言ってきたのですが、そんなに気にせずにドライバをむりやりiMacに突っ込みました。

そして、再起動をかけてみたものの、そこからが地獄。再起動とは文字通り再び起動することですが、進捗状況が一目でわかるプログレスバーが途中から全然動かなくなり、1時間経っても何も進まない。

iMacでマイクロソフトのマウスを使うことに問題があったのかもしれません。技術的なことではなく、あくまで道義上の面から、何かしらの問題があったようです。なんじゃかんじゃとアップル製品で周りを埋め尽くしているところに、突如マイクロソフトのマウスを導入しようとしたところ、思いっきり拒否反応を示したようで。

アップル製品には異文化交流という名のもと、ぜひともマイクロソフトとも仲良くしてもらいたかったのですが、そういうわけにもいきません。

必要なファイルなどはほとんどiCloudに突っ込んでいたので、コマンド+Rからディスクユーテリティをなんとか立ち上げて、ディスクの消去、そしてOSの再インストールという、めっちょこ手間な事をしました。

こんなことを次の日もお仕事があるというのに夜中の1時過ぎまでやっていたのです。マイクロソフトの呪いです。恐ろしいことです。合掌。

Amazonのわら半紙について

バールのようなもので思いっきりぶん殴られたような衝撃を受けたのが、やままさんのブログ「言いたいことやまやまです」のこちらの記事。

yamama48.hatenablog.com

Amazonの荷物の中に入っているわら半紙にスポットをあてた文章なんて今まで読んだことがありません。

緩衝材という性質上しわしわになっているからメモ用紙にもできないし、ゴミ箱に捨てたら捨てたで中で膨らんでやったらめったら邪魔になるし、焼却炉で燃やそうにも焼却炉がないし、焼却炉がないならAmazonで買えばいいやんと思って検索してみたら本気で売ってるし。

「焚き火どんどん」という、どんくさいネーミングセンスが実に素晴らしい。うちが集合住宅ではなく、美しい湖のほとりの小さなお城のような家であったなら購入を検討していたかもしれませんが、返す返すも集合住宅であることが恨めしい。「焚き火どんどん」送料無料です。ただし、これを買っても緩衝材のわら半紙が入っているかどうかは定かではありません。

そして、「わら」と「ばんし」を分けて変換すると、わら万死になります。万死に値する。

いつものことですが、話がちっとも進みません。

やままさんのブログがとにかくすごいのです。最初の「こんばんわ、Amazonの時間です。」という定型文、まずこれがすごい。ついに「(挨拶)、○○の時間です。」というパターンを自分のものにされてしまいました。こういう掴みがあると強いんです。ぐわぐわ団の場合は何がなんでも「合掌。」で終わりますが、実はこれは最後の最後に「あ、ぐわぐわ団の文章だったんだ……」と思わせる効果はあるものの、やはり冒頭に掴みがあるほうが文章としては強いのです。

私も「はろはろ〜、まけもけで〜す♪」みたいな、頭に虫の湧いたような能天気炸裂な文章で書き始めるみたいなことでもしようかしらん。

それはそれとして、Amazonの緩衝材の話だというのに防虫剤の話に花が咲くわ、実はわら半紙が結構有能なヤツだと気づかされるわ、ビニール風船みたいな緩衝材の使い方もニヨニヨさせられるわ、そして最後のオチがちょっとばかりひねりが効いてて、とにかく最高です!

ひねりが効いているというか、わら半紙が欲しいからAmazonでわざわざモノを買っているとしか思えない本末転倒さがステキ過ぎです。

とにかく、是非ともやままさんのブログの記事をご覧ください。お気に召し過ぎて、ついつい筆をとってしまいました。合掌。

▼Amazonの緩衝材についての記事はこちら▼

yamama48.hatenablog.com

いくら考えてもダメなものはダメ

残酷な話ですが、いくら考えてもダメなものはダメなのです。努力はいつかきっと報われると思っていたら大間違いです。

話が素っ頓狂な方向に行くような感じですが、素っ頓狂な方向に行っているわけではありません。真面目な話、ディーン・フジオカ主演のドラマ『モンテ・クリスト伯』を見ていて「なんじゃこれは?」と思いつつも、まぁそこそこ楽しいというか、別に身を乗り出してがっつり見ているわけでもなく、単にダラ見しているだけなので、登場人物とかもエラくうろ覚えで、誰が誰だかさっぱりわからんぐらいなのですが、そこはかとなく漂う「ほんまにこれでええんか?」感に魅了されているのです。

世界中の『モンテ・クリスト伯』のレビューの中でも最低の部類に入るぐらいのわけのわからん感想ですが、見ている人からすると「その通りや!」と膝を打つぐらいの同意は得られるのではないかと危惧しているところです。

そこで、はたと気がついたのです。モンテ・クリスト伯が山下清画伯だったらどうなっているだろうか、と。

「それは、震えるほど美しい復讐劇」というのが『モンテ・クリスト伯』のキャッチコピーです。震える以上、西野カナを抜きにしては語れないところですが、西野カナの話をしていたら一向に話が進みませんので、西野カナが好きという方には申し訳のない話ですが、西野カナの話はせず、とりあえず話を前に進めようと思うのです。

モンテ・クリスト伯が山下清画伯である以上、とりあえず「お……おにぎりがた、たべたいんだな。」と震えるほど美しい復讐劇がマリアージュして、おにぎりが食べられなくて震える山下清画伯が復讐に燃える展開になることが容易に想像できるのです。

『モンテ・クリスト伯』血の繋がった母と子を合体させてあふんあふんさせるというとんでもない展開になっていましたが、山下清画伯とのコラボレーションにより、そのシーンでダ・カーポの『野に咲く花のように』をバックに流して陰惨なシーンをなごやかに中和させたらいいのになと思いました。

おわかりかと思いますが、こういうことをいくら考えてもダメなのです。ダメなものはダメ、生産性ゼロです。モンテ・クリスト伯が山下清画伯だったらなどと1ミリたりとも考えるべきではありません。注意しましょう。合掌。

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