ぐわぐわ団

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耳の痛い話

ぐわぐわ団では毎夜、最高品質の極上クオリティな心温まるお話を、お茶の間の皆様にお届けしております。ココが笑うところです。もう笑うところはないですよ。よろしいでしょうか。こんなぐわぐわ団ですが、今日は敢えて耳の痛い話をさせて頂きます。

耳の痛い話というのは、話す側にとって、ものすごくハイリスクローリターンです。相手の事を思って耳の痛い話をするのですが、だいたいは「なにこいつ、上から言ってきて。うざっ!」と心の中で罵倒されることが多いのではないでしょうか。かなりの年月が経ってから「そういえばあの時あんなこと言われたけど、教えてもらえてよかったな……」って思ってもらえるなんてのは超レアケースで、こちらとしては清水の舞台から飛び降りるつもりで伝えた耳の痛い話など頭の片隅にも残っていないことがほとんどです。

聞く側にとっても耳の痛い話はうっとうしいだけのことがほとんどです。相手は良かれと思って耳の痛い話をしているのだとは思うものの、そんなことは言われなくてもわかっているし……ということばっかりです。こういう耳の痛い話を聞いて、自分を変えるなんてことができればいいのかもしれませんが、だいたいは「うざっ!」と心の中で叫ぶだけで終わってしまうものです。人間、そうやすやすと他人の言葉だけで成長などしないのです。耳の痛い話を聞いて成長するのであれば、今頃世界中は聖人君子だらけになっているはずなのです。そう考えると、耳の痛い話など、しないほうがよいのかもしれません。

でも、今回は敢えて耳の痛い話をさせて頂きます。

かなり昔の話なんですが、父親がマンガを買ってきてくれたんです。モンゴルの英雄、チンギスハンの漫画で、やけに分厚いの。横山光輝の「チンギス・ハーン」ではなく、もっと劇画チックでこってりした感じのチンギスハン。誰が描いたのかも忘れました。当時小学生だったか、中学生だったか、とにかく何度も繰り返して読んだので、いまでもそこそこ頭の中に記憶が残っています。そこで、特に印象深かったのがモンゴル流処刑のシーン。耳の中に溶けた銀を流し込むんです。文字にするだけで耳が痛くなります。耳が痛いどころの騒ぎではありません。死にます。

漫画では、耳に溶けた銀を流し込まれた兵士が「ぎゃー」と言っていたと思うのですが、どんな絵だったかは定かではありません。

もしくは中耳炎。あれも耳が痛い。