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掃き溜めに鶴

世の中にはいろいろな言葉がありますが、その中でもトップクラスにもんにょりするのが「掃き溜めに鶴」という言葉。つまらないものの中に飛び抜けてすぐれた者や美しい者がまじっていることのたとえです。

まず、掃き溜めがつまらないものと決めつけられていますが、掃き溜めは異を唱えるべきではないでしょうか。なぜ、俺が鶴よりもつまらないのかと。掃き溜めというのは、ごみを掃き集めて捨てておく場所のことです。人間が生活をするうえで、ごみが出るのは必然です。となると、ごみを集めておく場所は必要なのです。こう考えると、掃き溜めはつまらないものではなく、必要不可欠なものと考えることができます。

大昔のゲームの話をしますが、ディープ・ダンジョンというファミコンのゲームがあったんです。日本語訳をすると、深い洞窟。ちょっとばかりもんにょりします。どんなゲームだったかというと、主人公がゴミの山を漁って宝物やパンを探し出すゲームです。扉を開けるときは、必ず足で蹴り開けます。とにかく、ゴミの山を漁らないことには、ゲームが進みません。このゲームでも、掃き溜めがつまらないものどころか、必要不可欠なものであったのです。

一方、鶴です。飛び抜けてすぐれた者、美しい者の例えとなっていますが、鶴がそんなに飛び抜けてすぐれていて美しいかといえば、大いに疑問が残ります。

ちょっと前に話題になりましたが、鶴の頭の赤い部分。頭の赤い部分は羽毛ではなく、皮膚が裸出した細かな肉瘤なのです。そして、肉瘤の赤色は血の色です。そんな鶴の頭のアップ画像をまじまじと見た暁には、たらこやとびこが食べられなくなります。鶴がそんなにすぐれているのか。美しいのか。

 

 

掃き溜めに鶴という言葉を使うときには、掃き溜めが実はつまらなくないこと、鶴が実はすぐれているとはいえないこと、そういう事実を頭に入れたうえで、覚悟を持ってお使い頂ければと思います。