他人がむすんだおむすびを食べられない人がいる問題。
コンビニのおむすびは食べられるのに、人がむすんだおむすびは食べられない人がいるそうで。世の中の清潔第一主義がついにここまで!みたいな話でまとめちゃうのも、それはあまりに短絡的というか。
おむすびをむすんだ人が身内や知り合いなら、ほとんどの人が食べられると思うのです。もちろん、むすんだ人があんまり仲良くない人とか、実は嫌いな人だったりすると、食べられなくなることもありそう。
目の前の友だちがむすんでくれたおむすびなら食べられるけれど、友だちのお母さんがむすんだとなると、ちょっと抵抗が出てくるとかも可能性としてあるわけで。
つまり、おむすびを食べられる、食べられないというのは、食べる側とむすぶ側の信頼関係によるのではないかなと考えたのです。
この人のむすんだおむすびなら安心、このおむすびをむすんだ人は全然知らないから不安、こんな毛むくじゃらのおっさんがむすんだおむすびはイヤ、綾瀬はるかがむすんだおむすびなら絶対に食べたい、いろいろあると思うのです。
コンビニのおむすびは、工場でむすんでいて絶対安心という信頼感があるからこそ、成り立つ商品だったりするわけです。おむすび屋さんみたいなところだと、店員さんがめっちょこ完全防備で、手袋もマスクもきちんとしているところをわざと見えるようにして、安心ですよ〜というアピールしたうえで、おむすびをむすんでいます。
つまり、おむすびというのは、相手との信頼関係を推し量るための手段と言えます。
「てめえ!俺のむすんだおむすびが食えねえと言うのか!」
極道において契りを結ぶ際には盃を交わしますが、今後はおむすびを食べる、食べさせるというふうになるかもしれません。お酒飲めない人に無理やり飲ませたらアルハラになりますからね。極道というのは、ただでさえパワハラっぽい職場なのに、その上、アルハラなんてしようもんならエラいことです。
さきほど、綾瀬はるかがむすんだおむすびなら絶対に食べたいと書きましたが、これは私が綾瀬はるかを信頼しているということです。綾瀬はるかとの面識はありませんが、近い将来、おむすびをむすんでくれる日が来ないとも限りません。その時に、躊躇なくおむすびを食べることができるのか、頭の中で何度もシミュレートした結果、食べられると判断しました。つまり、私は綾瀬はるかを信頼していると言えます。広末涼子でも結構です。よろしくお願いします。合掌。