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題名どころか楽器もスポンサーもなく演奏者も観客もいない音楽会

出オチ感たっぷりのネタです。

日曜日、プリキュアが終わって余韻に浸っているところに始まるのが「題名のない音楽会」です。昔は黛敏郎という、一目で音楽家だとわかる人が重苦しい感じで司会をしていて、よくわからない現代音楽をぷぎゃーと流していた記憶があるのですが、今はだいぶ軽い雰囲気になっています。ゲーム音楽特集なんてものまでするようになりましたからね。黛敏郎時代の題名のない音楽会であれば考えられません。

子ども心に、なんとなく暗くて怖い、敷居の高い番組でしたから。

それはそうと、クラシック音楽というと、高校の時の地学の先生を思い出さずにはいられません。高校に入学して初めての授業が地学でした。見た目も恐ろしい先生が教壇に立つなり「地球は滅びましゅわ!」と絶叫。地球にとって人間がいかに有害であるかを滔々と述べられた後、モーツァルトの音楽はクズ、バッハの音楽が素晴らしいと話をまとめて授業が終わりました。とんでもない学校に来たもんだと思いました。

他にも、50分の授業のうち45分が雑談で5分で要点を教えておわりという、エグい数学の先生もいらっしゃいました。大酒飲んで学校のプールに飛び込むなんて昔は当たり前だったという武勇伝がこれまた滔々と語られます。とんでもない学校に来たもんだと思いました。

学校の話はさておき、題名どころか楽器もスポンサーもなく演奏者も観客もいない音楽会とはどのような音楽会なのでしょうか。いろいろと考えを巡らしてみたのです。まず、誰がいるのか。司会者しかいません。もしかしたら、司会者もいないのかもしれません。そもそもスポンサーもなく、観客もいないので、お金が集まりません。でも演奏者がいないのでお金を払う必要がありません。会場の設営費や警備費、スタッフの人件費などで費用が必要となりますが、観客もいないし、演奏者もいない以上、そもそも論として、会場を用意する必要性もありません。会場を用意しなくてもよいので、設営費やスタッフの人件費も必要ありません。だんだん謎が解けてきました。

つまり、題名どころか楽器もスポンサーもなく演奏者も観客もいない音楽会というのは、「無」なのです。音楽は心の中で奏でればよいので、わざわざ演奏家を集めたり、観客を集めたりせずとも、心の中で音楽を奏でれば、それはあなたの「題名どころか楽器もスポンサーもなく演奏者も観客もいない音楽会」なのです。鼻歌でも歌ってたらいいという話です。結論がどっちらけ過ぎです。合掌。

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