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読んで損する楽しいブログ

SNSへの投稿は承認欲求じゃなくておすそ分け

ブログやツイッターなどに自分の食べたものとかを載せるのは、一体どういう心理なのかというお話。

私自身はフェイスブックはしてないので、あの世界はよくわからないのですが、とにかくウェイウェイしたリア充っぷりがどんぶらこどんぶらこと流れてくると聞いています。桃じゃないので流してしまえばいいと思うのですが、私はブログとツイッターでお腹いっぱいになってしまっているので、インスタグラムですらほぼ放置という状況。いくら頑張っても処理できるデータ量というのは決まっているので、フェイスブックなんてとてもとても……ということなのです。

別にフェイスブックの話ではありません。

SNSに自分のことをウェーイと載せるのは承認欲求を満たすため、という説をよく聞くのです。そして「いいね!」の数を比べて、「どうしてあの人は私よりもいいね!が多いの!ムキー!」となって嫉妬に狂うみたいな漫画の広告を見たこともあるのですが、そんなもんなんでしょうかね?他の人と自分を比べるなんてしょうもないことせんでもええやんというステージに達するのって、なかなか難しいことなんでしょうか。

というのも、承認欲求を満たすためにSNSに投稿するという考え方が、どうにもこうにもちょっと小難しく考えすぎじゃなかろうかと思うのです。人間の深層心理には承認欲求というものが確かに存在するのかもしれませんが、全部が全部深層心理に結びつけることもないでしょう。

要するに、SNSに投稿するのは「楽しさのおすそ分け」みたいなもんじゃないかと思うのです。肉じゃがをたくさん作りすぎたのでおすそ分け〜って、昔は隣近所であったりしたのですが、それに似たようなものではないかと。

さすがに肉じゃがはちょっとキツいな。お隣さんとはいえ他人さん、何が入っているのか心配しはじめたらきりがないし、味付けとかで好みもあるし、もしかして恨みを買っていて毒を盛られていたらヤバいし。

じゃなくて、お隣さんが家庭農園で枝豆を栽培してて、やたらたくさんできたもんだからおすそ分けとか、それぐらいなら今でもないことはないと思いますので、SNSの投稿は枝豆のおすそ分けに似たようなものではないかと。もちろん、茹でる前の枝豆ですよ。茹でたの持ってこられたら、それはそれでちょっと微妙なところもあるし。塩加減に好みもあるし、もしかして恨みを買っていて毒を盛られていたらヤバいし。

茹でてなくても毒を盛られている可能性は否定できないのが今の世の中の悲しいところではあるのですが、とにもかくにも、SNSの投稿というのは、おすそ分けなんですよ。だから何?というと、何でしょう。よくわかりません。合掌。