ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

食パン1枚斬り

とりあえずよくわからない絵を描いたのです。

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この話を始める前に、ファミマで売ってた「バター香るパン」が、実はバターを使っていなかったとして、どっかからお叱りを受けたというニュースを目にしました。そんなことで目くじらを立てている場合ではないというか、バターを使わずにバターの香りがするのであれば、それはとても素晴らしいことではないかと思うのです。

「バター使ってるパン」として売っているのにバターが入っていなければ、それは大変な問題です。しかし、今回は「バター香るパン」です。バターを使っていなくても「バターの香りがするパン」として文字を認識すれば問題はないはずなのです。

こんなことでやいやい言い出したら「ファンタグレープ」なんて無果汁なのにグレープと言っているのですから、同じ理屈で言うとダメということになります。永谷園の「松茸の味お吸いもの」も、松茸など入ってはいません。原材料を引用してみましょう。 

調味顆粒(食塩、砂糖、鰹節粉、鰹エキス(大豆を含む)、醤油)(国内製造)、ふ(小麦を含む)、海苔、椎茸、乾燥ねぎ/調味料(アミノ酸等)、カラメル色素、香料、酸化防止剤(ビタミンE)、クエン酸

松茸などホメオパシーレベルですら入っていません。「松茸の味お吸い物」に松茸が入っていないことなど、誰でも知っているのです。あの値段で松茸どっかんどっかん使っていますなんて言われたら、逆に恐怖を覚えます。横山弁護士なら「もーやめてー」と言うでしょう。

つまり、世の中というのは、ある程度の心の余裕が必要なのです。「バター香るパン」であれば、バターが入っていなくとも、バターの香りがするならよしとする懐の深さが求められるのです。

ミルキーはママの味と言いますが、ミルキーを食べても肉の味も血の香りもしません。甘くて美味しくて、時と場合によっては歯の詰め物が取れてしまうことがあります。どっかから「ママの味と書いてあるがママが入っていないではないか!」と指導されても、不二家は無視して結構です。

そういえば、JR四国がめちょんこ売上が減ってしまって、国交相から指導を受けていましたが、指導するよりも支援してあげて欲しいと切に願います。最後に全く関係のないことを書いてしまいました。とりあえず終わります。合掌。 

ストレスとのつきあいかた

何かとストレスがすごいのです。

もはや、ストレスとつきあうことがストレスとなり、ストレスとつきあうストレスにストレスを感じるという状況になっております。それほど、今の世の中はストレスフルなのです。 

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ストレスをストレスだと思うからストレスになるのであって、ストレスではなくアリストテレスだと思ったらどうでしょうか。アリストテレスは「万学の祖」と言われており、数々の名言を残しています。例えば、こんなの。

幸せかどうかは、自分次第である。

確かにごもっともなことではあるのですが、そんなことはわかっているし、全てを自己責任と言われるのもストレスになります。せっかく、ストレスの代わりにアリストテレスとつきあおうとしたのに、余計にストレスになってしまいます。アリストテレスなどにストレスの代わりは務まりません。やはり、ペリクレスぐらいにしておくべきかもしれません。ペリクレスは2人いて、有名なのは大ペリクレスです。もう片方は小ペリクレスです。

この、大や小を付けるセンスのなさはどうにかならないのでしょうか。ヨーロッパでは同じ名前の人を区別するときに大を付けたり、小を付けたりするのです。めちょんこ有名なのは大スピキオと小スピキオでしょう。大ピノキオでもなければ、小ピノキオでもありませんのでご注意ください。

ちなみに、小スキピオは正式にはプブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス・アフリカヌス・ヌマンティヌス、大スピキオは正式にはプブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨルと言います。ややこしすぎて正式な名前など覚えられるわけもないので、やはり小スピキオ、大スピキオで結構かと思います。

話を戻しますが、ギリシャの人はやたらと◯◯◯レスが多いのです。ソ連人が◯◯◯エフだの、◯◯◯ノフだの、◯◯◯スキーが多いのとよく似ていますが、それを言い出したら日本も平安時代は藤原ばっかりでじつにややこしいのでストレスがたまるのです。

ストレスのない、べよべよとした世界でのんびりと過ごしたいものです。合掌。

喜んで尻餅をつく

先日、「喜んで尻餅をつく」ということわざを初めて目にしました。ことわざなんて全部知っていると思っていたにも関わらず、知らないことわざがあるなんてびっくりしました。

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この「喜んで尻餅をつく」ですが、意味は「物事が成功して有頂天になり、失敗を招いてしまうことのたとえ」なんだとか。知らないというのは怖いもので、まさに文字通り「喜んで尻餅をつくことがある」という意味なのだと思ったのですが、それだと単なるマゾヒズムです。 

マゾヒズム(ドイツ語: Masochismus 英語: Masochism)または被虐性欲(ひぎゃくせいよく)とは、肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプである。

よもや、幼稚園児が使うことわざかるたで「マゾヒストの存在」を教えるわけがありませんので私の間違いは明らかです。

とはいえ、この「喜んで尻餅をつく」ですが、私のような読み間違い、意味の間違った捉え方をする人はたくさんいるのではないかと思うのです。「喜びすぎて、そのせいで尻餅をつく」であればまだ意味がわかりやすいのですが、「喜んで尻餅をつく」だと言葉を省き過ぎなのではないかと思うのです。

わかりやすく伝えるというのは重要なことです。わかりにくければことわざ本来の持つ「教え」を伝えることができません。ことわざを出さずに直接「物事が成功しても有頂天になってはいけません」と言えば済む話を、わざわざことわざを使おうとすると「喜んで尻餅をつくということわざがあります。このことわざはマゾヒズムの存在を知らしめるためのことわざではなく、喜んで浮かれて、誤って尻餅をついてしまうことがあるので注意すべきである」と説明しなければならないのです。実に大変なことです。

意味がわからないからといって「尻餅」の部分を「ちんちん」に言い替えたらエラいことになるのは昨日ブログに書いたとおりです。合掌。

姪っ子ちゃんと下衆かるた大会

先日、姪っ子ちゃんと遊んできました。普段は遠いところに住んでいるのでなかなか会えないのですが、春休みということで実家に帰ってきていたのです。

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こちらは地獄の病院ごっこの写真です。36度5分ですので、熱はありませんでした。

 「いっしょに『ヒーリングっど プリキュア』をみよう!」と提案してきたので、もちろん一緒に観ました。「ちゆちゃんは何になるでしょう?」と聞いてきたので「キュアフォンテーヌ!」と爆速で回答して大人としての威厳を保ちました。その気になれば『ヒーリングっど プリキュア』に出てくるプリキュアだけではなく『ふたりはプリキュア』のキュアブラック、キュアホワイトにはじまり、今に至るまでの全てのプリキュアを言えないことはありませんが、姪っ子ちゃんは『ヒーリングっど プリキュア』からプリキュアを観始めたようなので、そこはあえて言わずにおきました。我ながら冷静な判断であったと思います。 

それはそうと、姪っ子ちゃんは幼稚園の「ことわざかるた」大会で優勝したそうです。「かるたをしよう!」と言うので、承諾しました。とにかく、姪っ子ちゃんは全力で遊ぼうとするので大変といえば大変なのですが、こういう時期はほんの一瞬で、そのうちルーズソックスを履いてコギャルメイクで「チョベリバ〜」などと言う頃になれば遊んでくれなくなるのが目に見えています。一緒に遊んでもらっているのは私たちなのかもしれません。

ですので、こちらも全力で遊びます。ことわざの読み上げは私の役割です。もちろん、まともに読み上げていては、ぐわぐわ団を率いる者として失格です。「馬の耳に念仏」ではなく、「馬の耳におなら」などと一部分を変えて読み上げて姪っ子ちゃんの爆笑を誘います。下衆かるた大会は姪っ子ちゃんのリクエストでどんどん下衆さが増し、「糠に釘」ではなく「ちんちんに釘」となり、「喜んで尻餅をつく」ではなく「喜んでちんちんをつく」になりました。めちゃくちゃ喜んでくれましたが、いくらなんでも「喜んでちんちんをつく」は4歳児にとって刺激が強すぎたと反省しております。合掌。