ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

ひとりで合唱

先日、テレビを見ていたら童謡を合唱する番組をしていました。いったいどういう理屈でそんな番組を見ていたのかはともかくとして、童謡を合唱する番組を見ていたのです。とはいえ、例のウイルスのせいでみんなで合唱するのは飛沫飛びまくりであかんということから「ひとりで合唱」という、合唱というコンセプトをぶち壊す、あまりにも斬新なフレーズで合唱をしましょうと言い放っていたのです。

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みんなで歌うから合唱であって、ひとりで歌うのは独唱です。もういちど言いましょう、ひとりで歌うのは合唱ではなく独唱です。それはもう、昔から、何年も何年も前から、そう決まっているのです。もしかしたら、織田信長がぶいぶいいわしていた時代からそうだったのかもしれませんし、少なくとも私の生まれる前からそうだったはずなのです、知らんけど。

言いたいことはわからなくもありません。合唱がしたいけど、今はできない。だから一時的にやむをえず「ひとりで合唱」をするのであって、ひとりで歌っているけど気持ちはみんなと一緒に歌っているということが言いたいのでしょう。わかります。言いたいことは重々わかります。みんなで歌ったほうが楽しいですし、気持ちも晴れますし、生きる糧となることもわかります。しかし、ぐわぐわ団はあえて厳しく物申します。「ひとりで合唱」はおかしい。独唱です。ひとりで歌うのは独唱なのです。そこを曲げて「ひとりで合唱」を認めるわけにはいかないのです。気持ちはわかります。わかりますが、ならぬものはならぬのです。

「ひとりで合唱」なんて認めてしまうと、他のことも全てがゆるゆるになってしまい、規律が保てなくなります。何がゆるゆるになって、どうなってしまうのかはさっぱりわからないのですが、とにかくこういう時代だからこそ規律をしっかりと保って、大きなことはできないけれど小さなことからこつこつと、しっかりと生きていくべきなのです。そして、最後の言葉を「合唱」で〆るつもりだなと思われたかもしれませんが、そんなことはしません。ならぬものはならぬのです。合唱。

めちょんこべよべよとしている

この文章を書いているのは1月11日の成人の日で祝日です。本当に祝日かどうかわけがわからなくなったので内閣府の『「国民の祝日」について』というサイトを見てみたら、確かに成人の日で祝日でした。ありがたいことです。そして、成人の日の意味も書いてあったのでご紹介しておきます。

おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。

なんかすごいぞ、成人の日。私が20歳の頃なんて、「大人になったことを自覚」なんてしてなかったし、「みずから生き抜こう」なんて思いもしなかったので、成人式に行って祝いはげまされる資格はなかったようです。実際に行かなかったし。

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他にもいろいろありまして、春分の日って何で祝日なの?ということに対しても、きちんと書かれてあります。

自然をたたえ、生物をいつくしむ。

春分の日ってこういう意味があるのです。知らなかった。80年生きてきても春分の日に自然をたたえ、生物をいつくしむなんてしたことがなかった。びっくりだ。

こうなると秋分の日も気になるところです。「しゅうぶん」で変換したら醜聞なんてとんでもない言葉が出てきたのですが、醜聞の日が祝日だったらイヤだなぁと思ったりもしました。しかし、これは今は関係のないことです。

祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。

これが醜聞の日……ではなく、秋分の日の意味です。これも80年生きてきて知らなかった事実で、びっくりなのです。びっくりしすぎかもしれません。祝日を調べるなんてのは、老体には刺激が強すぎる。なんで秋分の日が休みなの?と聞かれても、これからは「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶためだよ。」と若者を諭すことができるのでよいことかもしれません。ありがたいことです。

それはそうと、祝日に何をしているのかというと、やることがないのでべよべよとしていたら時間ばっかり過ぎて困るのでとりあえず文章でも書くかということで文章を書いているだけで、つまり祝日だからめちょんこべよべよとしているのです。以上です。合掌。

大人になったなと感じるとき

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

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「死亡確認」という言葉を発するときです。詳しくは「魁!男塾」、ならびに下のサイトをご覧ください。

dic.pixiv.net

王大人にこの台詞を言われたキャラクターは作中で一人として死亡していないため、いつしか「死亡確認」は、アテにならない死亡宣告を意味する「死亡確認を言われれば生存フラグになる」という扱いをうけるようになった。

「死亡確認」って、生存フラグなんですね。めでたし、めでたし。

さて、成人になられたみなさま、まことにおめでとうございます。新しく成人になられた方に、ぐわぐわ団からありがたいお話をしてさしあげようと思います。

成人となって大切なことは、堪忍袋、給料袋、そしてお袋の3つでございます。

まず堪忍袋、成人となってイライラすることも多々あるかと思います。よく「堪忍袋の緒が切れた」と申しますが、成人として堪忍袋をしっかりと締めておくことが寛容です。その理由は3つあります。ひとつは、いつも怒っていては人が離れていってしまうため、ふたつめは、感情的に怒ってしまうと後々後悔してしまうため、みっつめは怒りは負のエネルギーを生み出し、自分のみならず周りの人も疲弊させてしまうからであります。

つぎに給料袋です。成人となられた以上、お金を稼ぐということに対して真摯に受け止め、改めて学ぶべきだからです。最近は振込ばかりで給料袋など見ないという人も多いですが、お金の大切さは成人としてしっかりと認識すべきです。どうすればお金に困らない生き方ができるのか、怪しい話にはひっかからず、真面目にお金を稼ぐ知恵をみなさんどうか得ていただければと思います。

そして最後にお袋です。最近は毒親という言葉もあり、簡単に「親に感謝しましょう」と言うのもはばかられる時代ではありますが、お袋、つまりお母さんでなくても結構です。自分を助けてくれた人、そばにいてくれた人に感謝して生きていきましょう。

以上、3つの袋のお話でした。本当は結婚式のスピーチのネタで、みんなをげんなりさせるにはもってこいのネタなのですが、成人式のスピーチで使うのは新しいのではないかと思い、適当に書いてみました。それらしく聞こえたら幸いです。合掌。