ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

骨粗鬆症

みなさん、骨は大切にされていますか?骨はとても大切です。肉も大切ですが、死んで火葬されても骨は残りますから大切にせねばなりません。カルシウムをしっかり摂って、骨太になりましょう。

f:id:make_usagi:20210408212904j:plain

そんな骨大切マンな人たちにとっての大敵が「骨粗鬆症」です。ひらがなで書くと「こつそしょうしょう」です。この病気はめちょんこ恐ろしい病気で、とにかく発音しにくいのです。

「わたし、こつそそうしょうなの。」なんて言い間違いは当たり前。「わたし、こつそしょううそうなんです。」とか、わけがわからなくなることも多々あります。めっちょこ発音しにくいので、舌を噛んで死んでしまうかもしれません。骨粗鬆症なのに舌を噛んで死んでしまって骨だけになってしまうのなんて悲しすぎます。きゃりーぱみゅぱみゅも骨粗鬆症と並んで言いにくいのですが、きゃりーぱみゅぱみゅになることはないので安心してください。

しかし、きゃりーぱみゅぱみゅにはならずとも、骨粗鬆症になる可能性はあるのです。そんなとき、お医者さんに「わたし、こつそそうしょうなんでしょうか?」と言い間違えるのはとても恥ずかしいことです。「わたし、きゃりーぱみゅぱみゅなんでしょうか?」と尋ねるのはきゃりーぱみゅぱみゅだけですから、きゃりーぱみゅぱみゅが言いにくいことはこの際問題にはなりません。あくまでも、骨粗鬆症の問題なのです。

そこで、ぐわぐわ団は寝ずに考えました。どうしたら骨粗鬆症を言い間違えずに済むのか。寝ずにというのは嘘ですが、3秒ほどは真剣に考えました。そして、ひとつの答えが見つかったのです。

「お塩少々」

この言葉っぽく「こつそ しょうしょう」と言ってみてください。すると、するすると言い間違えずに発音できると思います。お料理番組でもよく聞きますよね、「お塩少々」というフレーズ。あのフレーズと同じなのです。「こつそ」という言葉さえ間違えなければ、あとは「少々」ですから間違えないのです。「こつしょ」と言ってしまうと「こつしょしょうしょう」になってしまいますから、くれぐれも間違えないでください。お願い致します。合掌。

 

例のウイルスに奇策はないのか?

大阪では例のウイルスの感染者数がぼかすかに増えており、このままでは大阪府民全員が感染してしまうのではないかと危惧されています。大阪人がアホなのは淀川の上流で大阪原人がアホの素を撒いているからという話を聞いたことがあり、大阪人は淀川の水を飲んで生活している以上、アホになるのは仕方のないこととして納得できるのですが、例のウイルスに感染するのは命に関わるので勘弁したいものです。

専門医が教える新型コロナ・感染症の本当の話 (幻冬舎新書)

現在、忽那先生の書かれた本を読んでいるところで、感染症とはいかなるものかというところを読んでいます。早く読破して、感染症対策に万全を期する必要があるのですが、いかんせんオセロニアのシーズンマッチが忙しくて、ちょこちょこ読むに止まっています。

それはそうと、例のウイルスをやっつけるための奇策は本当にないのでしょうか。総理大臣が「奇策はない」と言っていましたが、逆に私は奇策しか思いつかないのです。 

f:id:make_usagi:20210407202925j:plain

例えば、男性が外出する場合はズボンを履かずにちんちんを出す法律を作れば、別に外出するなと言っているわけではありませんから、経済活動にも影響は軽微であり、かつ密になることを避けることが可能です。満員電車などもってのほかで、先っちょと先っちょが触れたとか何とかで大騒ぎになるわけですから、満員電車の問題もすぐに解決されることでしょう。

そこまで奇策とはいかないまでも、国民全員に布マスクを2枚配布するという奇策もあります。そのマスクをつけたまま食事をすれば食事代がタダになる!というGO TO キャンペーンっぽいことをすれば経済活動もガンガンに回りますし、マスクをつけたまま食事するのが条件ですから、大阪府知事が言っている「食べているときもマスクをしなさい」という無理難題にもみんなが全力で取り組むことでしょう。

一番効果的な奇策は世界中の人たちが宇宙に避難することです。ホリエモンが頑張ってロケット開発をしているので、どうにかなるでしょう。ぼんぼん人間を宇宙に送り出して、地球上から人間をゼロにすれば、例のウイルスの問題どころか、エネルギー問題、夫婦別姓問題、環境問題、桜を見る会問題、いろんな問題が解決します。みなさん、宇宙に避難しましょう。私たちは地球に残ります。合掌。

許されざること

Amazonのkindleストアで「許す」で検索すると、『いつまでも消えない怒りがなくなる 許す練習』という本や、『許し方: 他人を許すには、正確な“知識”が必要です。』という本、『「ゆるす」という禅の生き方』といった本がわんさか出てきて、とにもかくにもやたらと「許す」ことが大前提で「許す」ことがステキな生き方につながるといった趣旨の本がボウフラのようにわいて出てきます。許したほうがよいことも多いのは事実ですが、私にはどうしても許せないことがあるのです。

f:id:make_usagi:20210406213114j:plain

「ああ、またあの話か……」と思われる方もいらっしゃるかと思いますので先にお断りしておきますが、またあの話です。そろそろ許してやれよと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、サッカー日本代表の岡田監督がカズを日本代表に選ばなかったことです。なんかいろいろと言っていたようですが、カズは日本のサッカーをずっと引っ張ってきた第一人者であり、精神的な意味で中心選手だったのです。年齢的に、技術的にどうのこうのとかの問題ではなく、いるか、いないかで全然チームとしての団結力が変わってきます。結局、カズがいなかった日本は優勝できなかったではありませんか。岡田監督がカズをメンバーから外したからスカタンな結果になったのです。

あの選択だけは決して許してはいけません。いつの話をしているんだと思われるかもしれませんが、許せないんだから仕方がない。私がサッカーを見限ったのも岡田監督が悪い。私は鹿島アントラーズが好きでしたし、アルシンドがめちょんこ好きだったので、カズのファンというわけでは決してありません。しかし、岡田監督がカズを日本代表からはずしたことでサッカーそのものに対して興味がなくなってしまったのは事実です。岡田監督を許せないのです。

おそらく、私は50年後も岡田監督を許すことはできないでしょう。そして、カズは50年後も現役選手であり続けるでしょう。こうなったのも全て岡田監督が悪い。合掌。