Googleマップをぼやーんと眺めていて、ふと福井県にスターが付いているところがあったので、そういえば妹がその辺に住んでいたから、たぶん妹の住所だろうなと思ってチェックしてみたところ、妹が住んでいるところではなく、高速増殖炉もんじゅでした。
しかも、地図を共有からリンクを引っ張ってきて貼り付けたら、なぜかアメリカ合衆国のオックスフォードになるし、何がなんだかわかりません。
というわけで、太宰治の『走れメロス』の話題です。
上記リンクは青空文庫から。作者である太宰治が亡くなったのが1948年6月13日、死後50年経過していますから著作権がなくなっています。ですので、未読の方はぜひ青空文庫で存分にお楽しみください。
『走れメロス』に関していろいろと調べていたら、こんな記事を見つけました。
距離を時間で割った平均速度はずばり時速3.9キロ! うん、歩いてるね!
歩いていたんだそうです。ラストスパートのところでも時速5.3km……そんなに頑張っているわけでもないようで、がっくりです。
もともとは『走れメロス』というタイトルの「走れ」が気になったのです。いったい誰が「走れ」と言っているんだろう?というのが、この文章を書くきっかけとなったのです。別にメロスは誰かに言われて走っているわけではありません。となると、『走れメロス』ではなく、『走るメロス』でなければおかしいのです。この時点で若干もんにょりします。
もっと掘り下げて言うと、『走るメロス』ではなく『走ったメロス』なのです。すでに走り終えていますので過去形で表現するべきなのです。太宰治は日本語を知らなかったのかもしれません。
このように考えた結果、『走れメロス』で正しいのかどうか?という問いかけに対して、厳然と「否」と審判を下さねばならないと思い、今回筆をとった次第ですが、そんなことより、さきほどの「ねとらぼ」の記事ですよ。走ってなかったやん、メロス。早歩きぐらいやん、メロス。走れよ、メロス。
というわけで、『走れメロス』というのは、読者がメロスの対してつぶやく心の声であったという結論になってしまい、ぶっちゃけどっちらけなのです。太宰治も著作権がなくなった今になって、こんなことを言われているとは露知らず。ご存命であったなら、メロスが走っていなかったという事実にどうお答えになったであろうかと想像するに、命は大切にしなければいけないなと思いました。合掌。