今年の初詣は、家の近くにある、よくわからないお稲荷さんに行きました。たぶん、お稲荷さんだと思うのですが、実のところはよくわかりません。昔にお寺があった場所だそうですが、じゃあなぜ今は神社なのかがよくわかりません。神社とは言えないぐらいのところで、鳥居はあるし、お稲荷さんを祀っているのですが、神主さんがいるわけでもなく、もちろん巫女さんがいるわけでもなく、なんとなくそこにある感じなのです。
わからないことがわかるという、無知の知という考え方を実践しているというわけでもなく、ただ単にわからないのと、人混みにきゅうきゅうするのがイヤだったので、なんとなくあそこにお稲荷さんがあったよね、じゃあそこで初詣しましょうということになったのです。だから、おみくじなんかもありませんし、お賽銭を入れるところも、なんだか地味なポストみたいな感じでした。よくわかりませんが100円玉を投入しておきました。
なんというか、デパートの屋上によくわからない神社があるじゃないですか。本当に神社なのかどうかもよくわかりませんが、とりあえずお稲荷さんが祀られていることが多いです。デパートの屋上の神社で初詣をするなんてのも聞いたことがありませんが、一応神社だとすれば、そこに初めてお参りをすれば、それは初詣になるのではないかと思うのですが、やっぱりよくわかりません。初詣とはそもそも何なのかということも、よくわからないからです。
たぶん、デパートの屋上の神社はデパートの人たちの幸せを願ってというか、商売繁盛と安全を祈願するのに特化したお稲荷さんだと思うので、ふらっと私たちがお参りしたとしても「おいおい、ワシはこのデパートの商売繁盛専門やねん。そんな世界平和とか家内安全とか言われてもまいっちんぐや。」と困惑するのではないかと思うのですが、実際のところはよくわかりません。
あんまり、このようなことに詳しくないのです。調べたらいいのですが、調べるのも面倒なので、このようなことになっています。気がつけば、文章のあちこちに「わかりません」と書いています。ここまで「わかりません」を書いている文章もなかなかないのではないでしょうか、よくわかりませんけど。どんどんわからないことがわからなくなってきて、わからないことが堂々巡りとなって、頭の中でわからなくなるのです。
どこにも取材に行かずに、ネットで調べたようなことだけで記事を書く人を「こたつライター」と言うそうですが、取材というか、家の近くのお稲荷さんにちょろっとお参りしただけで、ネットで調べもせず、わからないわからないと書き殴るだけの私は「こたつライター」の風上にもおけないぐらいなのですが、そもそも私が「こたつライター」なのかもわかりません。わからないことだらけです。合掌。