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自己皇帝感はとっても大切!

私は皇帝である!

と思うのはとても大切なことです。皇帝でなければなりません。王様でもダメ、大名でもダメ、もちろん将軍でもダメです。総書記などダメダメです。皇帝こそ全てです。私は皇帝である、という自己皇帝感を持つことが生活を豊かにし、ポジティブに生きる糧となるのです。

靴のセールスマンがアフリカ大陸に行った時の話をご存知でしょうか?

セールスマンの一人は誰も靴を履いていないのを見て「ダメです!誰も靴を履いていません!」とネガティブに連絡をしてきたのに対し、もう一人のセールスマンは「すごいです!誰も靴を履いていません!」とめっちょポジティブに連絡をしてきたと言います。どっちもどっちです。ていうか、どっちでもいいです。

私が言いたいのはポジティブは度が過ぎると怖いということです。

靴のセールスマンがアフリカ大陸に行った話ですが、ポジティブな連絡をしてきたセールスマンは確かにポジティブなのですが、レベル的には大名ぐらいのレベルで、決して皇帝レベルではありません。

皇帝レベルになると、こうなります。

「Year!アフリカ人は靴を履いてない!これは感謝!父に感謝!母に感謝!全てに感謝!ヨー!ヨー!」とポジティブがラップになって、「俺はラッパーになれる!」ってなって、突然ラッパーになる宣言をすることになります。

一人ぐらいこんな人がいても別になんてことはないのですが、みんなすごくポジティブになったらどうなるでしょう。パン屋さんも明日からラッパー、駅員さんも明日からラッパー、猫も杓子もラッパーになるんですよ。みんな、父に感謝、母に感謝するんです。親に感謝することになんら問題はないですし、どちらかといえば素晴らしいことなのですが、みんながみんな、感謝しまくってもどうしようもありません。パンを焼く人もいなくなれば、駅を見守る人もいなくなって、みんなラッパーになるのです。そんな世の中になってしまうのです。

自己皇帝感を大切にするというのは、すなわちこういうラッパーな未来が待っているということに他なりません。市民会館は常にラッパーの公演で埋め尽くされ、高校野球をする球児もいなくなり、それはそれで関西でプリキュアが見られるからいいじゃないかと思ったのですが、プリキュアを作ってくれている人たちもみんなラッパーになるのでプリキュアそのものがなくなります。これはいけませんね。

要するに、勢いでなんとなく記事を書くとこんなことになるのです。我ながらひどい。合掌。