主語が大きい記事は炎上することが多いです。
それでは、夏目漱石の「我輩は猫である」を引用してみましょう。著作権は切れているので引用程度であれば問題はないものと推察します。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。
主語を大きくしてみましたが、まず夏目ファンからお目玉をくらうことは必至です。夏目ファンのみなさま、申し訳ございません。
そして、これは主語じゃない!というご指導ご鞭撻が数多く寄せられることになるのではないかと思うのです。今更ながら、これは主語だろうか、それとも違うだろうか、じっくり考えれば考えるほどわけがわからなくなりました。一応、日本語を使いこなしているつもりだったのですが、英語と違って主語がはっきりしない言語だと再認識するに至りました。
それから、夏目漱石の小説とはいえ、今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品の文学性などを考慮しそのままとしました。片輪って思いっきり普通に使ってたんだ……と思ってびっくりしました。
というわけで、主語が大きい記事は炎上しやすいので気をつけましょうね、というネチケットの話題でした。ネチケットって言葉も今の時代、微妙ですね。合掌。