ぐわぐわ団

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断腸の思いで団長

私はぐわぐわ団の団長……なんでしょうか?

急に何を言い出すのかと思われたかもしれませんが、確かに団のトップは団長であることに異論はありませんし、一般論として理解し、納得もしています。問題なし。オールクリア。ノープロブレム。ただし、自分自身が団長と言われることに若干の違和感を感じるわけです。おそらく、安田サーカス団の団長のイメージが強すぎて、無意識のうちにちょっと待ってねってなっているんだと思います。そうとしか思えません。

じゃあ、私の肩書きはなんだと言うと、確かに「団長」なんです。断腸の思いで団長であると認めるしかないのです。たぶん、このセリフが言いたかっただけです。

断腸の思いというのは中国の故事に由来があります。ざっくりと説明すると、子猿を捕まえたら親猿が追いかけてきて、親猿が追いついたけど死んでしまったので、腹を割いてみたら腸が切れていたことから、とても悲しいことを断腸の思いと言うようになったそうです。

わからないことだらけなのですが、親猿が死んでしまったので腹を割くってのは人道的にどうなんでしょう。正確には猿道的かもしれませんが、細かいことなのでどうでもいいのです。司法解剖をせにゃならんかったのなら仕方ありませんが、古代中国において司法解剖なんて制度があったのかどうか謎です。

腹を割って話そうというのなら話は別ですが、そういうわけでもありません。子猿を追いかけてきた親猿が死んでしまったので「腹を割って話そう」じゃなくて「腹を割って調べよう」なんて言い出す人はクレイジー極まりなしですよ。ちゃんと供養してあげるのが人道的な態度じゃないでしょうか。正確的には猿道的かもしれませんが、何度も言いますが細かいことなのでどうでもいいです。

ちゃんと供養して、お墓を建てて、私の〜おはかの〜ま〜えで〜泣かないでください〜と歌うぐらいのことはしてあげるべきではないでしょうか。

話を戻しますと、断腸の思いで団長と認めるのにも、やはりわだかまりがないわけではないのです。かといって、CEOを名乗りたいとか、そういうわけでもないのです。EROを名乗りたいわけでもありません。

総統ぐらいがちょうどいい感じですが、住職でも構いません。元帥とかもかっちょいいですね。肩書きをどうするべきか、「断腸の思いで団長」と名刺に書いてしまってスベるなんてこともしたくはありません。現実をみましょう。肩書きなんてどうでもいいのです。要はその人となり、心、そう、心なのです。合掌。