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いくら考えてもダメなものはダメ

残酷な話ですが、いくら考えてもダメなものはダメなのです。努力はいつかきっと報われると思っていたら大間違いです。

話が素っ頓狂な方向に行くような感じですが、素っ頓狂な方向に行っているわけではありません。真面目な話、ディーン・フジオカ主演のドラマ『モンテ・クリスト伯』を見ていて「なんじゃこれは?」と思いつつも、まぁそこそこ楽しいというか、別に身を乗り出してがっつり見ているわけでもなく、単にダラ見しているだけなので、登場人物とかもエラくうろ覚えで、誰が誰だかさっぱりわからんぐらいなのですが、そこはかとなく漂う「ほんまにこれでええんか?」感に魅了されているのです。

世界中の『モンテ・クリスト伯』のレビューの中でも最低の部類に入るぐらいのわけのわからん感想ですが、見ている人からすると「その通りや!」と膝を打つぐらいの同意は得られるのではないかと危惧しているところです。

そこで、はたと気がついたのです。モンテ・クリスト伯が山下清画伯だったらどうなっているだろうか、と。

「それは、震えるほど美しい復讐劇」というのが『モンテ・クリスト伯』のキャッチコピーです。震える以上、西野カナを抜きにしては語れないところですが、西野カナの話をしていたら一向に話が進みませんので、西野カナが好きという方には申し訳のない話ですが、西野カナの話はせず、とりあえず話を前に進めようと思うのです。

モンテ・クリスト伯が山下清画伯である以上、とりあえず「お……おにぎりがた、たべたいんだな。」と震えるほど美しい復讐劇がマリアージュして、おにぎりが食べられなくて震える山下清画伯が復讐に燃える展開になることが容易に想像できるのです。

『モンテ・クリスト伯』血の繋がった母と子を合体させてあふんあふんさせるというとんでもない展開になっていましたが、山下清画伯とのコラボレーションにより、そのシーンでダ・カーポの『野に咲く花のように』をバックに流して陰惨なシーンをなごやかに中和させたらいいのになと思いました。

おわかりかと思いますが、こういうことをいくら考えてもダメなのです。ダメなものはダメ、生産性ゼロです。モンテ・クリスト伯が山下清画伯だったらなどと1ミリたりとも考えるべきではありません。注意しましょう。合掌。