ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

お葬式にお経をあげる理由を教えて頂きました

先日、「お葬式にお経をあげる理由」という記事で、ももはなさんにお葬式にお経をあげる理由を教えてくださいと書かせてもらったところ、さっそく記事にして頂きました。お答え頂いてめっちょこ嬉しいです。ありがとうございます。

however-down.hatenablog.com

こちらの記事で『折(おり)』というキーワードを使って、とてもわかりやすく書いて頂きました。私の祖父は二人ともべらぼうに長寿であったので、その血を受け継いでいる私自身のお葬式なんてのはおそらく数千年後の話なのですが、前もっていろいろと考えておくことは悪いことではありません。

お葬式にお経をあげることにどういった意味があるのかだけを考えるのではなく、もっと広い視野で考えるべきでした。お葬式とは、亡くなったという悲しい事実をみなさんに受け止めてもらって、これから先、残された人たちがどう進めばよいのかを知るための儀式と考えればよいのかなと理解しました。

残酷でも…美しい答え - 死体を愛する小娘社長の日記」こちらの記事で、ももはなさんが故人の子どもたちに、いかに事実を伝えるかに苦心されている様子が書かれていますが、これこそがお葬式なのだと思います。

坊さんが「なんまいだー」と唸っている姿を見ても、子どもは退屈で仕方がないでしょう。お葬式で「騒がないの!」と子どもを叱っている親をちょいちょい見かけますが、意味もわからずに、ただじっとしていなさいと言われることは子どもには苦痛です。そして、私は大人ですが、意味もわからずにじっとしているのは苦痛です。

子どもや私にもわかるように、人が亡くなるのはどういうことかを伝えてもらえれば、私は自信がありませんが、子どもはじっと前を向いて座っていることができるでしょう。そして、お葬式を『折』として、前に進んでいくことができます。その伝える手段が「法話」と考えるといいのかなと思いました。

さて、これらの話を踏まえたうえで、私は前の記事で、

広末涼子に来てもらって、「大スキ!」と「MajiでKoiする5秒前」を歌って頂ければ、それでもう十分です。

と書きましたが、広末涼子の「大スキ!」と「MajiでKoiする5秒前」で、本当に『折』となるのかどうか、残された人がどう進めばよいのかを知ることができるのかどうかを 考えましたが、大丈夫です。改めて書きますが、広末涼子に来てもらって、「大スキ!」と「MajiでKoiする5秒前」を歌って頂ければ、それでもう十分です。合掌。

▼今回、いろいろと教えていただいたももはなさんのブログはこちら▼

however-down.hatenablog.com