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「老害」という言葉が悲しい

「老害」という言葉を目にすると悲しくなります。

最近は、高齢者が口を開いて何かを言えば「老害」だと非難されるようになりました。歳を取ることが悪いことであるかのようです。私は3歳ですので、まだまだ高齢者の仲間入りをするのは先の話ですが、高齢者になったときに「老害」と言われたら悲しいだろうなぁと思うのです。

逆なのです。高齢者になったから「老害」になったのではなくて、人としてスカタンなのが高齢者になっただけなのです。ほとんどの人は素敵に歳を取っているのに、ごく一部のスカタンのせいで「老害」が注目されてしまい、いまや「老害」という言葉を見ない日はないというぐらいになってしまいました。

たぶん、「老害」とよばれる人は若いときからスカタンのあんぽんたんだったのです。一朝一夕にそんなもんになれるわけはないのです。若い時から「害」だったのです。若い時は目立たなかっただけで、権力やら財産を持ったから目立つようになっただけなのです。

人としてスカタンのあんぽんたんのアッパラパーにならないようにするのは簡単です。目の前のことを「当たり前」だと思わないようにするだけでいいのです。例えば、相方がごはんを作ってくれたとします。妻は夫のためにごはんを作ることが当たり前だと思っていると、感謝することもなくなり、スカタンの第一歩を踏み出すことになります。当たり前だと思っていなければ、自然と「ありがとう」という感謝の言葉が口に出るのです。

コンビニでレジ打ちをしてくれる人にぎゃーすか言うのも、お金を出せばモノが買えることが当たり前だと思っているから、自分が偉くなった気になってぎゃーすか言うのです。モノが買えるのは当たり前じゃないのです。一万円札も所詮は紙切れです。今はお金に価値があるとみんなが信じ込んでいるだけで、本当は紙切れとポテチだったら、ポテチのほうが価値があるのです。北斗の拳みたいな世界を想像してみてください。ポテチは食べられますが、紙切れは食べることはできません。こんなふうに考えると、売ってもらって「ありがとう」と思うはずです。

なんでもかんでも当たり前だと思うから感謝の気持ちがなくなって、傲慢になって、スカタンのあんぽんたんのアッパラパーのすっとこどっこいになるのです。当たり前なんてないのです。だから、何かしてもらったら感謝して、相手に「ありがとう」と伝えましょう。そうすれば、世の中から「老害」なんていなくなるのです。

目の前で起きていることを「当たり前」だと思わないことが「老害」退治のはじまりなのです。さあ、どんどん退治しましょう。合掌。

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