ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

一面でしか物事を捉えていないので読むに値しない

こないだ、じゃじゃっと書いた記事「「老害」という言葉が悲しい」がやたらめったらたくさんの人に読んでもらっているみたいで、ありがたいというか、なんというか。ただ、たくさんの人に読んでもらえるということは、いろいろと思いもよらない反応をもらったりもするわけです。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は根に持ちます。別に恨みつらみをどうこうというつもりもないのですが、好意的ではないと思われるコメントを目にすると、その人がどんな人なのかを徹底的に調べ尽くしたりします。それで何をするというわけではないのです。別にケンカをしたいわけじゃない。「みんなちがって、みんなかわいい」が、私の座右の銘ですから、ニヨニヨしておしまい。もしくは、ブログのネタにします。

この記事は、一面でしか物事を捉えていないので読むに値しない。

単に「読むに値しない」ということであれば、私もニヨニヨしておしまいだったのです。ぐわぐわ団は「読んで損する楽しいブログ」を掲げています。損するんだから読むに値しないんです。ここに関しては、ぐわぐわ団の根幹にかかる大事なところですので、間違えないでください。そして読むに値しないからこそ、自分で書いていて楽しいのです。

ただし「一面でしか物事を捉えていないので読むに値しない」と言われると、なんでやねんと噛みつきたくなるのです。そもそも噛み付く場所がおかしいと思われるかもしれませんが「一面でしか物事を捉えていない、だから読むに値しない」こんなことを言われて黙っていられません。

例えば、今話題の山根会長を例えに出しますと、「あの会長は悪いやつだ!」と決めつけて文章を書く人もいれば、「ぶどうをお供えしないといけないなんてかわいい」と言い出して文章を書く私もいれば、「めだま焼きの焼き方まで注文をつけるなんて!」と憤慨して怒りの文章を書くネコもいます。もちろん「山根会長は素晴らしい人です」と書く副会長がいてもおかしくありません。「みんなちがって、みんなかわいい」です。そして、おもしろい文章というのは得てして「一方的な視点に立った」文章なのです。「山根会長は過去に素晴らしい功績もありますが、悪いこともしたとも思います。」みたいな、おまえどっちの立場やねんみたいなスタンスで書かれた文章を読みたいと思うでしょうか。

毎日、毎日、幕の内弁当でいいんですか。たまにはステーキをガツンと食べたいですよね。むしろ、毎日ステーキをガツガツと食べたいです。一面でしか物事を捉えていない文章だから読む価値がないのではないのです。一面でしか物事を捉えていない文章をたくさん読んで、自分で考えて、自分で結論を出せばいいだけの話で、読むに値しないと決めつけるのは良くないというか、もったいないです。

そもそも論として「読むに値しない」ブログなのです。そんなことを棚に上げて、好き勝手なことを申し上げました。3歳なので許してね。合掌。