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おじいちゃん・おばあちゃん

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

私のおじいちゃん、残念ながら稀勢の里ではありません。おばあちゃんも稀勢の里ではありません。ご存知ない方がいらっしゃったら困りますので、きちんと書かせて頂きました。

……誰も困らないか。

確かに困りません。私のおじいちゃんとおばあちゃんが稀勢の里ではないという事実を知らない人がいたとしても、私は困りませんし、その人も困りませんし、稀勢の里がちょっと困った顔をするぐらいの話ではないかと思うのです。いやいや、ちょっと困った顔をするということは、困ったということですので、誰も困らないというわけではなくなります。

ていうか、稀勢の里しか困らない。

じゃあ、私のおじいちゃんとおばあちゃんが稀勢の里ではないという事実をわざわざ書く必要はないということなのです。必要がなければ書かなくてもよいのではないかと、思考が堂々巡りをするのですが、ここで昨日観た『プーと大人になった僕』の、クリストファー・ロビンとプーのやりとりを思い出してみましょう。

「風船、欲しいな。」

「必要ないだろ。」

「必要なくても欲しいんだ。」

風船など役に立たないと切り捨てるクリストファー・ロビン、必要がなくても欲しいというプー、どちらのほうがステキな生き方でしょうか。必要がないからといって切り捨ててしまっては、幸せはやってこないのではないかと思うのです。

というわけで、必要はないのですが、私のおじいちゃんとおばあちゃんが稀勢の里ではないと、きちんと書いておけばよいということになりました。一応、確認のためにクリストファー・ロビンとプーのやりとりを再現してみましょう。

「まけもけさんのおじいちゃんとおばあちゃんが稀勢の里ではないという情報、欲しいな。」

「必要ないだろ。」

「うん。」

……ダメだ。プーですら脳内で「必要ない」と言い切ってしまう。それぐらいにどうでもいいということなのかもしれません。

ちなみに、私のじいさんは100歳を超えてもひとりで仙人さまのように暮らしていた、ものすごくものすごい人でした。合掌。