ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

悪徳◯◯◯には悪いのもいればそうでないのもいる

タイトルの意味がわからないと思われた方、その今の気持ちを大切になさってください。その純粋な気持ちを持っていれば、いつの日にか報われるときが来るかもしれません。来ないかもしれません。来ないような気もします。でも、来ないとも限りません。来たらラッキーですし、来なくてもよいのです。むしろ、積極的に来ない方向で話を進めるのもよいかもしれません。報われるなんて思うからややこしいのです。

合唱コンクールでよく歌われる「想い出がいっぱい」という曲があります。「しあわせは誰かがきっと運んでくれると信じてるね」という歌詞に対して、私の小学校の時の担任の教師は「しあわせは自分から積極的に取りに行くもので、誰かが運んでくれるのを待つなんてのは許しがたい」とわけのわからない怒りを子どもたちにぶつけてきたのを思い出します。野獣のような心をお持ちであったのでしょう。常にしあわせを求めて、全力で挑み続けていたのかもしれません。今やもう、どうでもよいことです。

みなさんを煙に巻くような話ばっかりしておりますが、私の言いたいことは「悪徳◯◯◯には悪いのもいればそうでないのもいる」という事実です。わかるとか、わからないの問題ではなく、事実なのです。

例えば、悪徳代議士。悪そうですね。悪徳弁護士、これも悪そうです。悪徳医師、腕は確かだけど悪そうです。このように、悪徳◯◯◯は悪そうなのが多いのは事実です。

一方、悪徳サラリーマンというのは微妙です。あまり悪そうではない。悪くても薄っぺらい悪さしか感じません。悪徳パン屋。質の悪い小麦粉を使っている程度で、心底悪いかどうかは微妙なところです。そして悪徳宮大工。こっそり釘を使ったりするので、悪いといえば悪いのですが、許せないほど悪いわけでもなさそうです。

このように、悪徳◯◯◯は悪いのばっかりではないのです。とはいえ、積極的に良いかというと、そういうわけでもありません。悪徳ハイパーメディアクリエイターなんかも、悪そうには思えないものの、良いかといえばそうでもありません。日本語は難しいのです。ディフィカルトなのです。合掌。