会社を変革しましょう。
ネタ帳に「会社を変革する」と書いてありました。だから、とりあえず絵を描いて放っておいたのですが、時間が経つにつれて何を書けばよいのか、きれいさっぱり忘れてしまいました。ですから、逆転オセロニアの話でも書いて、お茶を濁そうかと思ったのですが、それはさすがにお茶を濁しすぎのような気もします。
とはいえ、ぐわぐわ団に書いてあることはほぼ全てお茶を濁したようなことばっかりですし、濁ったお茶が悪いというわけでもありません。
綾鷹など「急須でいれたような、にごりの旨み」と書かれており、濁っていることに価値があるかのような、奢りとも思える態度なのです。飲者(読者や学者という言葉がある以上、飲む人のことを飲者と言ってもさしつかえはないと思うのでこのように書きましたが、実際には飲者という言葉は「精選版日本国語大辞典」にも載っておらず、ともすれば私の造語であるかのような、奢りとも思える姿勢で申し訳ございませんが、とりあえず意味はわかると思いますのでそのまま話を進めようと思います。思いのほか括弧の中の文章が長くなってしまい、どこで括弧を閉じてよいのやらさっぱりわからなくなってしまって、ずるずるとこのまま最後まで突き進んでしまうのも、それはそれで面白いのではないかと、私の心の悪魔が囁きます。私の心の悪魔は、括弧を閉じさせないぐらいの悪事しか働くことはなく、総合的に判断すると、私自身は極めて清らかな心の持ち主と言えなくもありません。そして、私の心の中の天使も「もう、括弧は閉じなくてもいいと思うよ。読者のみなさんもそれを期待していると思うよ。」と囁き)に対して濁りを推し進めようとするのです。コカ・コーラの綾鷹ですらお茶を濁してくるのですから、ぐわぐわ団がお茶を濁さずしてどうすると言いたいのですが、私の心は一点の曇りも濁りもなく、清く正しく美しいのでございます。合掌。