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一生懸命なんて勘弁してください

ちょいちょい目にする「一生懸命」という言葉。ぶっちゃけ大嫌いなんですが、「一生懸命」に価値を見出す人はたくさんいます。結果も大切だけど、一生懸命することが何より大切だと言う人もいます。「一生懸命頑張りましたが失敗しました!でも、一生懸命頑張ったから問題ありませんね!」と手術を終えたお医者さんに言われたら許すとでも言うのでしょうか。盲腸を切るのを間違えてちんちんを切られたら、どれだけ一生懸命頑張っても許すわけにはいきません。

そもそも「一所懸命」なんです。一つの場所で命懸けで頑張る「一所懸命」ならわからなくもないのです。「一生懸命」って何でしょう。生まれてから死ぬるまで、ゆりかごから墓場まで、ずーっと命懸けで何かをせねばならんのでしょうか。一生懸命ブログを書くなんて言われても、それはそれで頑張れとは思いますが、一生を賭してまでするこっちゃないでしょうと思わなくもありません。

「一所懸命」が「一生懸命」に転じたのは、近世に入ってからのことです。1734年の浄瑠璃『応神天皇八白旗』に「憎い奴と飛かかり取って引起し、大君を殺さねば一生懸命の、親に替えて能う落としたな、先を吐せと挫ぎつけ」という一文があります。日本語なのに何を書いているのかさっぱりわかりませんが、とりあえず一生懸命という言葉が出てきます。1803年の歌舞伎『油商人廓話』の四幕にも「揚代が無駄になっては一生懸命ぢゃ」という一文があり、これは重大なこと、たいへんという意味なのですが、1700年代には「一生懸命」という言葉が使われていたということです。

調べてみると、武士による土地に価値があるという考え方から、町人による貨幣に価値があるという考え方に移っていったタイミングで起きた言葉の変遷のようです。そして「一生」という言葉が「一生に渡って」という意味から「生涯に一度しかないほど重要な」という意味に重点が移ったことも大きく関与しているようです。

とはいえ、あくまで私の個人的な感じ方を言えば、一生懸命と聞くと「生まれてから死ぬまで」っぽいので、一生懸命なんて勘弁してくださいというのが本音です。一所懸命も正直なところ勘弁してくださいというのが本音です。何も頑張らず、ただただべよべよとしていたいのです。合掌。