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三島よりもノーベル文学賞を意識しています

先日、クローズアップ現代プラスで三島由紀夫がノーベル文学賞を意識しまくっていたということを言っていました。そして、川端康成ではなく、三島由紀夫がノーベル文学賞を取っていたなら、きっと未来は変わっていただろうといった感じの話でした。

その辺はよくわかりませんし、三島由紀夫の小説『金閣寺』を少しだけ読んだものの、途中にめっちょこ嫌なシーンに引っかかって読み進めることができず、三島由紀夫なんて大したことないなと中学生ながらに感じたものです。

はっきりと言いますが、三島がノーベル文学賞を意識していたと言うのであれば、私はもっと意識しています。いつも、ノーベル文学賞を受賞したらどうしよう、基調講演は何を話そう、そして賞金でウハウハと暮らそうと考えています。三島がどのようにノーベル文学賞を考えていたのかはわかりませんが、私の執念に比べたら大したことはないはずです。

もっと言うと、私は別にノーベル文学賞だけにこだわっているわけではありません。ノーベル物理学賞、医学賞、その他もろもろ、全て総なめを狙っています。「HUGっと!プリキュア」で言っていたではありませんか。「なんでもできる、なんでもなれる」と。ノーベル賞総なめもできないことはないはずです。そういう意識を持っている点において、私は三島由紀夫に負けていません。ただひとつ負けているとすれば、私は小説を書いていないことぐらいです。

突然ですが、『伊豆のうどん粉』というタイトルを思いついたので、『伊豆のうどん粉』という小説を書いてノーベル文学賞を頂戴しましょう。

トンネルを抜けるとそこは雪国じゃなくて伊豆で、うどん粉がたくさん獲れます。

ここで筆がピタッと止まってしまうのですが、確か『伊豆の踊子』という小説は、踊子が夜な夜なおっさん連中に手篭めにされるのではないかと想像してもんもんとしていた主人公、朝風呂に入っていたら、すっぽんぽんで無邪気に手を振ってきた踊子を見て鼻血ブーで死亡という話だったと思うので、それよりマシでしょう。ですので、ノーベル文学賞はもらえるという算段です。合掌。