ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

久しぶりに『YAKSA』を読んで震え上がる

昨日、「『YAKSA』を大人買いしてほくほくでマシュマロ揉み返し」という記事を書きましたが。全七巻を読みきって震え上がっています。やっぱりすごい漫画だった。

今の自分の根本的な考え方がこの漫画で出来ている。

読み終えて震え上がった理由は、それを再確認できたからです。さくらももこ、中島らも、大槻ケンヂ、いろいろな人の文章が自分を作っているのも否定はしませんが、一番影響を受けていたのはこの『YAKSA』で間違いありません。

百聞は一見に如かず。とにかく、主人公ヤシャの父親ガゴゼのセリフを抜き出してみましょう。

ワシの目指す理想社会とはすべての人々が無の境地でいられる世界のことだ

 

この世にあるあるものをとりのぞいてやれば 皆 無の境地にいたることができるだろう

 

それはな 価値観というものだ

 

物事の 自分に取っての良し悪しをはかる基準…それが価値観だ だが、良し悪しをはかることによって人の心は惑う…無にはいたれん

 

ワシは自分の中の価値観を捨てた 善もなければ悪もなく損もなければ得もない あるのは己のみ…心惑うことなくすべてのものがよく見える…

第六巻でガゴゼがヤシャに対して価値観を捨てろというシーンのセリフです。この後、価値観を消されたヤシャは記憶を失ってしまいます。そんな状況を伝えるガゴゼの配下ヴァーユのセリフがこちら。

ヤシャの持つ価値観を消してやったんですよ… けれど価値観は過去の経験からつくられるものですから価値観が消えるとともに過去の経験もいっさい消えてしまったというわけです わかりますか?過去を忘れているんじゃない 過去は消え去ったのです

ここからの展開がまためっちょこおもしろいのと、斜陽剣シウジがめっちょこかっちょいいのと、ソーニャが素敵すぎるのとで、最終巻まで一気に読み進んでしまいます。

それはそれとして、この「価値観」の考え方。「価値観」があるからこそ、人は良し悪しをはかり、そして惑うという事実。こんな考え方を小学生だか中学生だかが、かっちょいい漫画だと思って読んでいたところにガーンとぶつけられて影響を受けないはずがないのです。

結局、私は「価値観」を捨てることはできませんでしたが「価値観」は人それぞれであり、自分が絶対ではないという境地には至っております。よく、ぐわぐわ団で取り上げる「みんなちがって、みんなかわいい」です。ガゴゼの唱えた「価値観」のない世界が理想社会とは思えませんが、自分の「価値観」が絶対ではなく、みんなの「価値観」をお互いに認めあうことができれば、それは理想社会に近づくのではないかと思うのです。

他にもこの漫画、取り上げたいところは山のようにあるのですが、斜陽剣シウジが自らの命を犠牲にして敵を斬った後、ソーニャに抱きかかえられながら絶命するシーンで、ソーニャがシウジに最後に伝えた言葉がこれまたステキです。

私なんかのためにこんなことすることなんか…でも……ありがとう…

「ありがとう」です。この言葉があるだけで、全然伝わるものが違います。

とにかく、『YAKSA』ってすごい漫画です。どこかで機会があれば、ぜひ手にとっていただければ嬉しいです。電子書籍になってくれたらものすごく嬉しいのですが、今のところは古本で手に入れるしかなさそうです。本当にすごい漫画なんですよ。合掌。