ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

近代日本経済の母は誰なのか?

世の中の話題というのはとにかくあっち行ったりこっち行ったりで忙しく、ついこの前大騒ぎしていたことがあっという間に忘れ去られてしまいます。新紙幣を発行します!と政府が発表して、わーっとなったのもつかの間、話題としてはあっという間に消費されてしまった感があります。 

今度の壱万円札の肖像画は誰でしょうか?お答えください!

 

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思い出しましたか?

「近代日本経済の父」と言われた人です。そして、ここで新たな問題が生まれます。「近代日本経済の父」がいるなら「近代日本経済の母」もいるはずです。父だけでは生殖活動はできません。生殖活動っぽいことならできるのですが、それはできる限り上品な表現方法を使うと「マスをかく」ということであり、どれだけマスをかこうとも、「近代日本経済の母」がいない限り、近代日本経済は産まれないことになります。

お断りしておきますが、「近代日本経済の父」が本当にマスをかいていたのかどうかは問題ではありませんし、個人の性的嗜好に対して何ら言及するものではありません。故人とはいえ、マスをかいていようと、マスをかいていまいと、それは個人の自由であって、私たちがやいやい言うことではありません。

となると、「近代日本経済の父」も確かに重要ではあるのですが、「近代日本経済の母」がより重要になります。誰だろうと思ってGoogleで検索しても、ズバッと「この人やで!」みたいな答えは出てきません。Googleの力をもってしても答えは出てこないのです。Googleも大したことはないのです。

にも関わらず、Googleにちょっとでもええ顔しようとして、ブログの記事を書くときに、なんでもかんでも「もくじ」が差し込まれる現状に対して苦言を呈したいと思います。ブログ教本だったり、ブログノウハウ記事を読むと、「もくじ」を入れよう!みたいなことがやたらと書いてあって、実際にやたらと「もくじ」が目につきます。

とはいえ、上から読んでいかないと筋が読めない記事に「もくじ」はいらんでしょう。『パン屋さん特集!北海道、東北、関東、近畿、そして沖縄!」みたいな記事だとしたら、私の場合は「もくじ」を使って近畿だけを読むとかするかもしれませんが、そうじゃないなら、わざわざ「もくじ」を差し込まなくてもよいではないかと思うのです。

それはそうと、一万円札の肖像画が誰か思い出しましたか?矢沢永一です。合掌。