もしかしたら、ものすごいことに気がついたのかもしれません。
お釈迦様は生まれてすぐに7歩あるいて、右手をあげて「天上天下唯我独尊」と言ったといわれていますが、お釈迦様は別にして、他の人たちはだいたい生まれてすぐというのは立つこともできないし、首も座っていないのです。
本題からははずれますが、私の姪っ子は生まれて間もないというのに、哺乳瓶をくわえさせられて、ひとりでミルクを飲んでいました。「この子はひとりで飲めるから大丈夫やねん」という親の言葉に衝撃を受けましたが、クッションとタオルを使って、ひとりで飲めるようになっており、実に合理的に物事が成されておりました。生まれて1ヶ月ちょっとの赤子でも、うまいことしたら、ひとりでミルクが飲めるのです。
とはいえ、それとて姪っ子がひとりでミルクを作って、というわけにはいきません。誰かがミルクを作って、ひとりでミルクを飲めるように整えてあげる必要があります。
話がぎょんぎょんにそれてしまっているので本題に戻しますが、生まれたてのときは首が座っていないのです。それはもう、誰でもです。平成維震軍のメンバーでさえも、生まれたときは首が座っていなかったに違いありません。
ブチ切れて吠えている上司も、大嫌いないじめっ子も、何もしてくれない先生も、何の役にも立たない評論家も、私以外は全員、生まれたときは首が座っていなかったのです。そして、「オンギャー!」と泣いていたのです。これはものすごいことです。
「どうして契約のひとつもとってこれないんだ!」
と目の前で上司がブチ切れて吠えていたとしても、生まれたときは契約をとることはおろか、首も座っていなかったのです。
罵詈雑言をぶちかましてくるいじめっ子も、生まれたときは「オンギャー!」としか言えず、首も座っていなかったのです。
他の人も同じです。私以外は全員、生まれたときは「オンギャー!」だし、首は座っていないし、何もできなかったのです。
目の前で誰かが敵意をむきだしにしてギャンギャン何か吠えているとしても、「せやかて、首も座ってなかったくせに、何を言ってんねん」と心の中でつぶやけば、何となくどうでもよくなるような気がします。
ちなみに、私は生まれてすぐに7歩あるいて、右手をあげて「天上天下唯我独尊」と言いましたので、首も座っていたはずです。よろしくお願い申し上げます。合掌。