自由ネコさんが興味深いことを書かれています。
人は皆それぞれが別の役割を与えられて存在している・・・そう考えると心が軽くなったりします。 誰かと自分を比較して、勝った負けたと一喜一憂する必要が無くなりますから。 本来、比較はできないんです。 みんなそれぞれ、スタートもゴールも違うんだから。 大事なのは、それに気づくことです。
そこで、与えられた役割とは何だろう?と考えたのですが、自由ネコさんは「そんなもん知るか。自分で探せ!」と、千尋の谷に我が子を落とす獅子のようにガツンと突き放すわけです。
人にはそれぞれ与えられた役割がある。そう信じることで救われることもある - 自由ネコ
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まぁ生き方まで人から言われないと分かんないような重症のやつもいますね。自分がやりたいことを好き勝手やってれば良いのである。
2019/08/27 17:44
ゆきにーさんのコメントにもありますが、自由ネコさんも「本当に自分がやりたいことをやったらいい」と書かれています。
ここまでが話の前提。
さて、「人にはそれぞれ与えられた役割がある」という前提が正しいとして、その役割とは何かをガンガンに突き詰めて考えてみたらしんどかったので、ぬるぅく考えてみたのです。そうしたら、答えはこちらになりました。
「生きていればいい。」
好きなことをしようが、何をしようが、とにかく生きていればいい。ただ、それだと、どんなことをしても構わないと勘違いされるのも困るので、
「他人の迷惑にならない限り、生きていればいい。」
ではないかと思ったのです。ただ、答えが出たと思いきや、今度は「他人の迷惑にならない限り」とはどういうことかという問題にぶち当たります。「他人の迷惑」というのは、他人を殺めたり、他人を物理的に、もしくは精神的にも傷つけたり、他人の尊厳や権利を傷つけたり、要するに相手が嫌がることをこちら側がすることを指します。
一方で、相手からこちらに対して何かしらの行為を受けることは「他人の迷惑」ではありません。簡単に言うと、自分でできないことを手伝ってもらったり、助けてもらったりというのは「他人の迷惑」ではありません。
つまり「誰の世話にもならない。誰にも迷惑をかけたくない。」と言う人がいますが、これは「他人の迷惑」ではないので、今回の話には当てはまりません。
ややこしい話になってしまいましたが、「他人の迷惑にならない限り、生きていればいい」というのは、相手が嫌がることをしないように気をつけながら、生きていくことではないでしょうか。
とはいえ、こちらが「良かれ」とおもってしたことが、相手にとっては「迷惑」である場合があります。ぬるぅく考えているつもりが、どんどん深みにはまっています。そんな時、相手が「迷惑です」と気軽に言えるようになればいいなと思うのです。
「迷惑です」と言えないからややこしくなるのです。「迷惑です」と言っても理解してもらえないからもっとややこしくなるのです。親子であっても「迷惑です」とは言いにくいですし、上司と部下であっても同じですし、友達でもそうですし、もちろん赤の他人であればなおさら言いにくい。だから、ぎくしゃくぎくしゃくしてしまう。ごちゃごちゃしてきた割にどうやってまとめたらいいのかさっぱりわからなくなっています。
とりあえず、むりやりまとめましょう。与えられた役割とは何か。
「他人の迷惑にならない限り、生きていればいい。ただし、自分が良かれと思ってしたことが相手にとっては迷惑になることもあるので、相手が迷惑だと感じた時には「迷惑です」と遠慮なく言ってもらえるようにするべきである。」
ごちゃごちゃしすぎて何が何だか、さっぱりわけがわからなくなりました。
ちなみに、私の役割は「読んで損する楽しいブログ」を書くことです。合掌。
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