ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

体力を測る機械を開発する必要がある

先にお断りしておきますが私の心が狭いことを露呈するお話です。ご了承ください。

電車に乗っていたとき、ご老人の集団がどやどやっと入ってこられたのです。見るからにハイキング帰りで、遊んできて楽しかった感がびょんびょんしている感じで、お年を召しても元気にハイキングに行ったりできるのは素晴らしいことだなぁと思っていたのです。すると、前に座っていた若者たちがバツが悪そうな顔をして、無言で席を譲りだしました。別にご老人たちは「私たちに席を譲れ」などとは一言も言っていませんし、あくまでも若者たちが自発的に席を譲ったにすぎません。ご老人の集団は席に座り、にこやかに談笑を繰り広げ、若者たちはどっかに行ってしまいました。めでたし、めでたし。

……いやいや、ちっともめでたくないんだよな。

これが、ご老人の集団による強制があったのであれば「いくらなんでもそれはどうだ!」と思うところですが、別にどうのこうのいざこざがあったわけでもなく、若者たちが自発的に、ハイキング帰りの元気なご老人の集団に無言で席を譲ったというだけの話です。特にどうのこうのこちらが言うことでもありません。

しかし、なぜかものすごくもんにょりするわけですよ。これはもう、何がどうというわけではなく、ただ私の心の中でもんにょりするのです。おそらく、私の心が狭いのでしょう。ハイキング帰りのご老人にまで若者は席を譲らねばならんのかとついつい思ってしまうと、もんにょりが爆発するわけですね。若者はバイト帰りでへとへとかもしれません。何か目には見えない何かを抱えているかもしれません。そんな想像をすると、もんにょりがおさまらないわけです。

もはや、ドラゴンボールの戦闘力を測るスカウターみたいなのを開発して、人の体力を数値化できる機械が必要な時代なのです。ご老人の体力が300で、若者の体力が5だとしたら、若者はご老人に席を譲る必要はありませんし、逆にご老人は若者に席を譲ればよいのです。数値化して、誰もが文句の言えないようにすべきではないでしょうか。

若者がいつも元気もりもり(死語)だと思ったら大間違いです。合掌。