ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

袖振り合うも多少の緑

タイトルを見て、ツッコミを入れていただいた方、おみごとです。正しくは「袖振り合うも多少の縁」ではなく、「袖振り合うも他生の縁」です。

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ちょっとした出会いであっても、前世からの深い因縁であるという意味です。因縁と言われるとなかなかに重たいものがあります。

とはいえ、このようなブログを読んでいただいているというのも、袖振り合うも多少の縁です。前世で何があったのでしょう。一緒にマンモスを追いかけていたかもしれませんし、一緒に落武者を突いていたかもしれません。えっちらおっちら逃げてきた落武者を討ち取って、ふたりで「お殿様、落武者を討ち取っただ!」と首を持って行ったら「ばかもん、それはワシの家臣じゃ!」なんて言われたりして、ふたりで「竹槍で刺したのはこいつだ!」「いや、とどめを刺したのはこいつだ!」と、お殿様の前で言い争いを始めるのです。そんな前世があったからこそ、今があるのかもしれません。世知辛い世の中です。

それより気になるのは、振袖と留袖の違いです。調べようとしたのですが、なんだかよくわからないのでわからないままにしておきます。たぶん、長袖と半袖の違いみたいなものだと思いますし、それぐらいの認識で間違いないでしょう。未婚者は振袖で、既婚者は留袖とか聞いたことがありますが、未婚者は半袖で、既婚者は長袖でも問題はないと思います。

となると、ランニングはどうなるのだ!とお叱りの言葉が飛んできそうです。裸の大将、山下清画伯は裸とは言いつつもランニングを着ていました。正しく言うと、山下清画伯演じる芦屋雁之助が、なのですが、こんな話をしたところで、今の若い人は『裸の大将 放浪記』など知らないでしょう。昔、そういう心温まるドラマがあったのです。初期の頃は知りませんが、だんだん熟してくると水戸黄門のようなマンネリ化が進み、最後はいつも「あの有名な山下清画伯!」と正体がバレて、逃げるように去っていくという展開でした。

ちなみに、タイトルの最後の文字ですが「縁(えん)」ではなく「緑(みどり)」になっています。お気づきになられましたでしょうか。合掌。