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ヘルプマークについてもにょもにょと考えてみました

タイトルのとおりですが、ヘルプマークについてもにょもにょと考えてみました。ヘルプマークの意味が十分に伝わっていないせいか、ヘルプマークをつけている人を蔑んだりする残念な人がいるようで、なんとももんにょりだなぁと思ったのです。

とはいえ、私自身もヘルプマークについて詳しいわけではありません。大阪市のホームページにはこんな説明が書かれています。

 ヘルプマークとは、外見からはわからない援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成されたマークです。このマークを見かけたら、電車内で席をゆずる、困っているようであれば声をかける等、思いやりのある行動をお願いします。

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本音を言うと、私はこの説明文だけ読んでも、どうしてよいやらわかりませんでした。ヘルプマークをつけた人を見かけたら絶対に席を譲らないといけないの?とか、困っているかどうかなんて外見でわからんしとか、ネガティブな気持ちがふつふつと。お役所の文章ですから、どうしても堅くなるのは仕方がないとして、いまいち何も伝わってこない。

私は毎日、お仕事に行くのに、朝はしんどいから座れるように早めに家を出て、駅で何本か電車を乗り過ごして、どうにか座れる電車に乗っています。そんなふうにしてようやく座っているわけですが、例えば次の駅でヘルプマークをつけた人が乗ってきて自分の前に立っていた場合、明らかにしんどそうなら席を譲ると思います。ただ、次の日も同じ人がまた目の前に立ったら。そして、その次の日もと考えたら、どこかで席を譲ることはしなくなるんだろうなぁというのが正直な気持ちです。実際にはこんなことは起きていないんですけど。

たぶん、気持ちの余裕があるかどうか、だと思うのです。ヘルプマークをつけている人を見かけたとき、自分に人を助ける余裕があれば、席を譲ったり、声をかけたりすればいいんです。さっきの例え話ですが、「毎日毎日私の前に立ちやがって」と考えるのだとすれば、それは気持ちの余裕がなくなっているから。そんな時は人を助けるなんてできません。

大阪市の説明文ですが「このマークを見かけたとき、あなたに余裕があれば、電車内で席をゆずる、困っているようであれば声をかける等、思いやりのある行動をお願いします。」と一言添えてもらえたらわかりやすいかなと思うのです。

こう考えると、ヘルプマークをつけている人を蔑んだりする人というのは、そもそも余裕がない人なのでしょう。自分自身がいつ事故にあったり、病気にかかったりして、ヘルプマークをつけなければならない立場になるかもしれないという想像をする余裕がない人と考えたら、それはそれで仕方がないのかなと思うのです。

ちなみに、余裕のある人はかっちょいいので、気持ちの面でも、身体の面でも、金銭面でも、余裕のある人になりたいものです。合掌。