今から書くことは嘘ですからご安心ください。
私の幼馴染に「サンゲたん」とよばれていたかわいい子がいました。かなりのヤンチャくれで、小さい時は金髪でブイブイ……ではなく、ピヨピヨいわせていたのですが、大きくなるにつれ赤いトサカを天高く立てて大声で歌うようになりました。天才たけしの元気が出るテレビに出演してどっかの中華料理屋さんで演奏していたX JAPANのような格好です。
サンゲたんがそのような道を歩んでいた一方、私はフランスのソルボンヌ大学を首席で卒業し、セーヌ川のほとりで「さぁ、フランスで学ぶことは全て学んだし、これからの人生をどうしよう」とたそがれていました。「いっそのこと、日本で役に立たない組織でも立ち上げるか」という考えがまとまりかけたとき、サンゲたんから電話がかかってきました。
「ボンジュール」
私は流暢なフランス語で電話に出ました。
「えらいこっちゃ!米を腹に詰められて煮込まれる!」
サンゲたんからの悲痛な叫びでした。しかし、私は知っていたのです。サンゲたんは将来参鶏湯になる運命であることに。セーヌ川のほとりで私はサンゲたんに「そうか、頑張れよ」としか言えませんでした。悲しい思い出です。
その後、サンゲたんは参鶏湯になったのですが、サンゲたんの種族はバラバラにされて油で揚げられる者もいれば、すりつぶされて団子にされる者もいて、どちらにしても美味しくいただかれる運命にあったのです。
命をいただくというのはこのように、時には残酷に、そして美しい思い出を残すものでもあります。サンゲたんと仲良く遊んだ日々を私は忘れることはないでしょう。米を詰められて煮込まれるというのは想像するだに大変苦痛であったかと思いますが、運命というのは自ら切り開くものであり、サンゲたんがもしかしたら別の道を歩いていた可能性もなくはないのですが、わけのわからないことを書くのも飽きてきたので、とりあえず参鶏湯を食べたい。合掌。