たまには歴史の考察でも書きたいと思いましたので、多少専門外ではありますが聖徳太子が制定したと言われる『簡易十二階』についてお話したいと思います。
本来であれば12階建のビルを建てるには鉄筋コンクリート造(RC造)、もしくは鉄筋鉄骨コンクリート造(SRC造)にする必要があります。しかし、聖徳太子の時代にはそのような建築技術はなく、木造で作るしかなかったのです。そのため、建築基準法を改正して簡易な木造でも12階建までなら建物を建てられるようにしたのが『簡易十二階』と言われています。
しかしながら、十二階建の建物を木造で建てるということに無理があったせいか、結局のところ後世まで残る建物は残りませんでした。四天王寺にある塔も五階建です。本当は『簡易十二階』を使って「十二階建の塔を作るぞ!」と息巻いていたらしいのですが、近くにあべのハルカスもあるし、木造で十二階建の建物なんか建てたら危ないからやめてぇなと大工さんに言われて仕方なく五階建で我慢したと言われています(反対したのが蘇我のイルカという説もあり、その時の悲しみを歌ったのが「なごり雪」だと言われています)。
そもそも、最近は聖徳太子なんていなかったという話もありますし、教科書にも聖徳太子ではなく厩戸皇子(うまやどのみこ)と書いてあるそうです。つい数年前まで一万円札と五千円札の肖像画としてぶいぶいいわせていたというのに、ものすごい体たらくです。もっとしっかりしなさいと言わざるを得ません。
ちなみに、グーグルで「聖徳太子」と調べると「聖徳太子 政治家」と書かれていて、そういえばそうだよなぁとしみじみ思いました。なんとなく十人の人からいっぺんに話しかけられても理解できるびっくり人間みたいな感じだったのですが、よくよく考えたら政治家なのです。
そして、私の後ろでは相方が「体温をはかるたびに出てくる温度が違いすぎる!」と大暴れしていますがそっとしておきたいと思います。合掌。