先日、NHKの地方ニュースを見ていたら「オートバイの少年 死亡」という事故について報道していました。どんな事故だったのかとか細かいことは忘れたのですが、とにかく少年が亡くなったことに関してお悔やみ申し上げたいと思います。
ただ、「オートバイの少年」って何なんでしょう。「オートバイの少年」がめちょんこ気になるのです。
「の」というのは連体助詞で、名詞と名刺をつなぎます。例えばこんな感じ。
- 私の猫 → 私が飼っている猫
- 日本の車 → 日本で生産された車
- ピンクのバラ → ピンク色をしているバラ
では、それぞれに「オートバイの少年」で考えてみましょう。
- オートバイが飼っている少年
- オートバイで生産された少年
- オートバイ色をしている少年
どれもこれもあんぽんたんです。
となると、「の」の働きは連体助詞ではなく格助詞かもしれません。「が」に置き換えることができる「の」です。「オートバイが少年」……微妙です。どういうこっちゃと言いたくなります。格助詞でもないのかもしれません。
結局、どう考えても「オートバイの少年」というのは「オートバイ=少年」以外の何者でもないのです。人体改造されたのか、生まれた時からオートバイだったのかわかりませんが、オートバイの少年というのはオートバイと少年の融合体と考えるほかないのです。
そんな希少価値のあるオートバイの少年が亡くなってしまったというのは残念でなりません。見世物小屋で働いたらさぞお稼ぎになることができたでしょう。もちろん、最近はやたらと円安が進んで、昨日も日銀が今の状態を維持すると決めた途端に円安がどっかんどっかん進んで大変でしたが、円安によりガソリンが高くなるため、オートバイの少年も生きにくい世の中になりつつあります。見世物小屋でのお給金だけでガソリン台を稼ぐことができるのでしょうか。それは誰にもわかりませんが、頑張ってもらいたいと思いました。
と思ったのですが、先ほど申し上げたとおりお亡くなりになってしまったので残念です。ていうか、ちゃんと「オートバイに乗った少年」と言えばいいのに。「イルカに乗った少年」を「イルカの少年」とは言わないでしょうに。合掌。