ケーキを買ってきておうちで食べていたのですが、フィルムにはりついたクリームをふたりが真剣な顔をして無言でべよーっと剥ぎ取っていました。私はお箸で、相方はフォークで。みーっとクリームを剥ぎ取ってフィルムをある程度にしてから、相方がぼそっと言ったのです。
「二人して何をしているのだろう……」
とはいえ、おうちでケーキを食べるときにフィルムについたクリームを剥ぎ取って食べるのはクリスマスであろうとなかろうと許して頂きたい。別にべちょーっとねぶるわけでもないのです。きちんと道具を使っているところは人としての最後の砦であって、フィルムを舌でねぶりだしたら一線を越えたと言ってもよいでしょう。まだ、私たちは人として存在しているのです。
それはそうと昨日、テレサテンの「つぐない」の歌詞に対して人生幸朗・生恵幸子の漫才のようなツッコミを入れたところ、テレサテンから苦情の電波が飛んできたようなようなので引き続き「つぐない」についてツッコミを入れていきたいと思います。たぶん、飽きるまで続けるような気がしますがお付き合い頂けますと幸いです。
同志(どうし)とは、志を同じくする(思想を共有する)仲間を指す言葉であり、そういった仲間への呼びかけ、敬称としても用いられる。ただ、漢字文化圏を除けば単に「仲間」を指す言葉を文脈によってそう翻訳するのであり、「戦友」などとも訳しうる場合が多い。
Wikipediaの引用ですが「同志」とは志を同じくする者のことです。同志社大学という大学もありますが、あの大学はオダギリジョーが同志を集めて作った大学です。同志というのはそういう意味があるのです。さて、テレサテンの「つぐない」ですが、
♫あすは他人同志になるけれど
他人ですが同志なのです。志は同じなのです。そして、壁の傷を巡って血を血で洗う抗争が起きるのです。実に恐ろしいことです。こんな時のために賠償対物保険に入っておく必要があるのです。頑張りましょう。合掌。