みなさんも嬉しい時には小躍りすることがあるかと思います。踊りの種類はボンだったり、ズンバだったり、バチャータだったりすると思うのですが、それは各々生きてきた道が違うのでどのような踊りでもよいでしょう。小野小町や小野妹子や小野正利も各々違う人生を歩んでいるので小躍りした時には違う踊りを披露するはずです。期待しましょう。
というわけで、小躍りは誰でも嬉しい時にするものであることは三段論法で証明されたのですが、逆に大踊りはなかなか見ることができません。踊りはあるのです。踊りはあるのですが、大踊りをしている人を見るのはなかなかないというのが実情です。ボンレスハムをお中元で頂いたからといっても小躍りこそすれ、大踊りをすることはありません。
そもそも踊りとは何でしょうか。音楽と共に体を魅惑的に動かすことで神への信仰を表現することが踊りであると言う人もいれば、パッションだと言う人もいるでしょう。言葉の定義はとても大切なことですが、今回は面倒なので適当に踊りとは踊ることであるとします。
そして、小躍りは小さく踊ることを指します。これも言葉の定義をしっかりとしないといけないのですが、やっぱり面倒なのでやっつけで小さく踊ることとします。
となると、大踊りとはどのような踊りなのか、具体的にイメージできるのではないでしょうか。そして、大踊りが難しいことであることもご理解頂けたのではないでしょうか。考えれば考えるほど難しく思えるかもしれませんが、小難しく考えてはいけません。
ここでまた新たな概念が出てきました。小難しい、です。難しいよりも小難しいほうが難しくないのかと言えばそんなことはありません。そして大難しいと言えば小難しい<難しい<大難しいかと言えば、これまた違うような気もします。私たちが大中小という文字に踊らされているだけなのです。
ややこしいことを考えずに、嬉しいことがあったら小躍りをすればよいですし、悲しいことがあったら大踊りをすればよいだけです。頑張りましょう。合掌。