ズボンを買いましたら、だいたい裾上げをします。これが実に屈辱なのです。

既製品のズボンである以上、平均的な長さでこしらえているはずなのですが、裾上げをするということは少なくとも「あなたの足が短い」ということになるのです。大は小を兼ねるとか言いますが、とはいえ「あなたの足が短い」から裾上げをしなくてはいけなくなるわけで、逆に「長さが足りないですね、もう少し長いものをお持ちします」なんてことになったら絶対に「勝った!」と思うことでしょう。この事実から裾上げをする=カノッサの屈辱以上の屈辱を味わうことになるわけです。
カノッサの屈辱が何なのか忘れましたが、裾上げの屈辱はみなさまと意識を共有することができるのではないかと思っています。私の足がもう少し長ければ、世の中の平均がもう少し短ければ、裾上げをせず、切った分の布を無駄にせずにすんだのに……としみじみ思うこともないのです。
お店によっては裾上げした時に切った布をポケットの中にこっそりねじ込んでくるところもあります。もうね、大屈辱。お前の足が短かったせいでこれだけの布が無駄になったのだ、身に沁みて感じろということをニコニコしながら暗に言われているのです。新しいズボンだ〜と喜んで履いて、後ろのポケットに何か入っている感じがして、手を突っ込んでみたら裾上げした布が入っていたときの屈辱感たるやもう、ものすごくものすごい屈辱を感じるわけです。
「私は裾上げなんてしたことがないよ」「裾上げって何?」みたいな人がぐわぐわ団の読者にはいないと信じております。この気持ちをみなさんと共にできないわけがない。そして、何より布に対しての罪悪感たるやもう。ギロチンに処されたルイ16世を思い出してしまうわけです。本当にもう、何を書いているのかさっぱりわかりませんが、足を伸ばす手術なんてのもあるみたいですが、そこまでするつもりは毛頭ありません。ただ、裾上げは屈辱であるということが言いたいのです。合掌。