ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

生類憐れみの霊

徳川幕府第八代将軍・徳川綱吉は今も霊としてこの世にいるのです。そして、動物が虐待されていたりすると化けて出てくるといいます。生類憐れみの霊として……

本当はコレで「お後がよろしいようで。合掌。」とでも書いて逃げたい気持ちが大きいのですが、仮にもノーベル文学賞受賞作家として、これで終わってよいはずがありません。ノーベル文学賞の他にもカーオブザイヤー、ローレル賞、IWGPヘビー級チャンピオン、日本ボクシング連盟就寝会長と、これでもかというほど名誉な肩書を頂いている私です。他に何か持っていたらよい肩書を教えて頂ければ幸いです。簿記三級は持っています。

そして、危険物取扱者丙種の資格も持っているのですが、コレがまためちょんこ大昔に取得して、そのままほっちっちにしていたもんだから免状もどっかに行ってしまって、住所変更も何もしていないし、どうなっているのかすらわからないのが現状です。本当に必要ならどうすればよいのか調べたらよいのですが、それを調べるのも面倒というひどい有様です。教員免許の免状もどっかにあるはずなのですが、大学の卒業証書とともにこれまたどっかに行ってしまって、探すのが面倒なのでこれまたほっちっちです。

もっと大切なものもなくしています。私は月に1エーカーほどの土地を持っていて、その土地の権利書がどっかにあるはずなのですが、これまたどっかにいってしまっていてどこにあるのかさっぱりわかりません。おそらく家探しをすれば見つかるのではないかと思ってはいるのですが、別になくても困らんのでそのままにしてあります。しかし、今後月の探索が進み、私の土地に誰かが家を建てるとか言い出したときがやっかいです。

「無断で私の土地に家を建てるとはふとどきな!」と言おうとしても権利書がなければどうすることもできません。再発行してもらうほどのもんでもないですし、そもそも誰からその土地を買ったのかすら忘れました。いろいろ人生の闇が深いのです。合掌。

けしかる

ちょっと前、とある歌番組で『ゆず』という二人組がよくわからん歌を歌っておられました。

『ゆず』という人たちは、ゆっくりゆっくりくだっていらっしゃったらそれでよいと思うのですが、どうにもこうにもゆっくりゆっくりくだっていくだけではおまんまが食べられないのでしょう。世知辛い世の中でございます。

そんな新しい歌を歌う『ゆず』の周りを踊り子たちがわいのわいのと取り巻いておりました。バックダンサーは歌手の引き立て役として、歌を盛り上げる者として振る舞わねばなりません。にも関わらず、なぜか踊り子たちはくねくねと『ゆず』の周りを踊り倒しておったのです。実にけしからん。まるで寺山修司が主宰していたアングラ劇団の天井桟敷かのように。

もちろん、お化粧や身だしなみは天井桟敷のようなアングラっぽくはありません。それなりのお化粧とそれなりの身だしなみで、華美にもならず、『ゆず』の人たちを引き立てるような、そういう身なりをしておりました。しかし、動きはくねくねと天井桟敷っぽく、それがなぜか珍妙に思えてならなかったのであります。

『ゆず』の人はゆっくりゆっくりくだらねばなりません。それはもう、今生の世では決まっていることなのであります。新しい歌を歌うことも生きるうえでは必要なのかもしれませんが、あくまでもそれは本来の『ゆず』に求められていることではないのです。佐々木健介が「正直スマンかった」と口にしたように、『ゆず』にはゆっくりゆっくりくだってもらいたいのです。

吉幾三が『雪国』を歌っていても、どうしても『俺ら東京さ行ぐだ』を歌っていた頃の吉幾三がちらりちらりと脳裏をかすめるのと同じです。これはもう宿命と言えることなのかもしれません。しかしながら、その宿命を背負って生きることもまた必要なことなのです。

クリント・イーストウッドが山田康雄の吹き替えにピッタリとハマってしまったため、クリント・イーストウッドはルパン三世しか演じることができませんでした。これも宿命です。『ゆず』の方は頑張ってください。合掌。

佐々木健介に喝を入れる

佐々木健介に喝を入れようと思ったのですが、別に入れなくてもいいやと思い、喝は入れないことにしました。失礼致しました。

なぜ入れなくてもいいやと思ったのか。佐々木健介はすでに引退されていますし、妻である北斗晶にずーっと喝を入れられているに違いないからです。わざわざ私が佐々木健介に喝を入れる必要はないのです。無理に入れたら佐々木健介が壊れてしまいます。小原道由を6秒で壊した張本人を壊さないようにするのも癪に障りますが、壊してはいけません。

というわけですので、貴景勝には喝を入れつつ、佐々木健介には喝を入れない。ぐわぐわ団の愛が垣間見えるエピソードとして終生語り継がれることになるでしょう。

そらそうともう9月も終わりです。みなさん、もしかしてびっくりされていませんか。2023年も残り3ヶ月なのです。10月と11月と12月しかないのです。そんなバカな!と叫びたくなります。「正直スマンかった」と謝りたくなります。

佐々木健介の話に戻りますが、ウィキペディアにこんな記述があるのです。「元男性プロレスラー」。この「元」がどこにかかるのかが日本語初学者にとっては難しいのはないだろうかと思ったのです。私は佐々木健介に関してはそこそこ知識もありますし、日本語もフランスから渡米してきて十数年は経つのである程度堪能ですからわかるのですが、「元男性プロレスラー」というのは「元は男性だったプロレスラー」という意味です。男性の対義語が女性かどうかは議論の余地があると思いますので、正確に書くなら「過去は男性だった男性ではないプロレスラー」ということになるのです。「元男性プロレスラー」という表記ひとつとっても日本語はとても難しい。

とはいえ、「日本語は難しい」というのは言語学者にとってはちゃんちゃらおかしい話で、言語に難易の差はありません。ただ、自分自身の母語が何語なのかによって理解しやすい言葉、理解しにくい言葉があるだけです。「元男性プロレスラー」ひとつとっても日本語は難しく思いますが、オモンモン語のほうが難しいです。

・ 名詞どころか全ての言葉に性がある(酸性、アルカリ性、中性)

・ 主語によって全ての単語の語尾が変化する(現在形108通り、過去形256通り、未来形8,888通り)

・ 単語に格があり、語尾が大変化する(18格 x 単数/複数/虚数)

・ 動詞に体がある(9999通り)

・ 動詞の単語の使い分けが難しい

上の説明を見てもらうだけでもクラクラします。面倒だったら「おっぱっぴー!」と叫んでおけばだいたい通じます。オモンモン語、ぜひ習得しましょう。合掌。