ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

べかこが南光になったとき、何か時代が変わった気がした

朝、忙しいというか何かとバタバタしていたとき、フッと思いついた言葉をネタ帳に書いておいたのです。すぐに忘れて、そして夜。帰ってきて、ごはんを食べて、なんかもうこれを食べずに死ねるか!と思うぐらいに美味しい特撰バターケーキをいただき、まあべよべよと過ごした後、パソコンの前に座って「さあ、何か書こうかな〜」と思って、とりあえずネタ帳を開いてみたら「べかこが南光になったとき、何か時代が変わった気がした」なんて書いてあるんです。朝の忙しい時に何を考えてこんなフレーズを

わざわざ

メモっていたのか、朝の自分。しかも、別に桂南光がとりたてて好きなわけでもないんです。最近は『バラエティー生活笑百科』に相談室長代理として出ておられます。とはいえ、桂南光と言えば、とにかく『痛快!エブリデイ』の印象が強いのです。大阪ローカルの番組だったので、ほとんどの人は何のことやら?と思われているかもしれませんが、そういう番組があったのです。男がしゃべりでどこが悪いねん!というコーナーが有名でして、月曜の朝からやけに過激トークが繰り広げられたりしていました。

ちなみに、この番組の後番組というのが『ごきげんライフスタイル よ〜いドン!』という、これまた大阪のローカル番組でございまして、円広志や織田信成、月亭八光が街ブラして、すごい人を見つけて「となりの人間国宝さん」に認定するコーナーがおもしろかったりします。これまた、大阪以外の人にはなんのこっちゃ?だと思うのですが、ぼんわり眺めるにはちょうどよい力加減で、そこそこお気に入りです。

さあ、どうでもいい話をしておりますが、別にべかこが南光になったからといって、だらかどうしたという感じでしかありませんし、そもそも名前が変わったのはだいぶ前の話です。そして、べかこというのは大阪弁で「あっかんべー」のことでして、あえて翻訳をすると桂あっかんべーになるのです。

桂由美もびっくりでしょう。

桂銀淑もびっくりでしょう。

というわけで、今回の記事は本当にどうにもこうにも話がべよべよとしているわりには、いつも通り、役にたたない内容になってしまいました。

そうそう、生放送の歌番組ってありますけど、どうして生放送なんでしょうね?生放送にする意味って、歌手が歌詞を飛ばしたり間違えるのをワクワクしながら待つ以外に何かあるのでしょうか。生放送にして、歌手が突然放送禁止用語を叫び出す可能性もゼロではないですよね。そんなリスクを取るより、普通に録画して、きれいに編集してくれたものを見るほうが質もよくなるんじゃないかと思った次第です。生放送によばれたことのない私がひがみで書きました。合掌。

私は悪いことをしました

私は悪いことをしました。

何かと言いますと「たべっ子どうぶつスナック」を、ただひたすらにがっついて食べてしまったのです。「この食感まるでおっとっとみたい」とか思いながら、空腹を満たすためだけにばくばくと。そして、半分くらい食べて気がつきました。「たべっ子どうぶつスナック」はどうぶつのカタチをしていることを。そして、英語で動物の名前まで書かれていることを。

「たべっ子どうぶつスナック」の職人の方がひとつひとつ、精魂込めて生地を動物の形にして焼き上げ、完成したスナックひとつひとつに外国人留学生が英語で動物の名前を書くのです。ものすごく手間のかかる逸品なのです。ひとつひとつが芸術品と言えるでしょう。そんな「たべっ子どうぶつスナック」を、何も見ず、何も感じず、ただひたすらに小麦粉を焼いて固めた食物として口の中に放り込んでは会釈……ではなく、咀嚼して飲み込んでカロリーへと変化させてしまったのです。

私は悪いことをしました。

例えるならば、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「モナリザ」に一瞥もせずに、口の中に放り込んでは会釈……ではなく、咀嚼して飲み込んでカロリーへと変化させるようなものなのです。

本当に私は悪いことをしました。

「たべっ子どうぶつスナック」の職人さんに合わせる顔がありません。英語で動物の名前を書いてくれている外国人留学生の方々にも合わせる顔がありません。レオナルド・ダ・ヴィンチに合わせる顔もありません。

特に気になるのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ダ」なのです。レオナルドばっかりズルいので、日本人でダをつけてみましょう。織田・ダ・信長、ちょっとかっこいいですね。小野・ダ・妹子、遣隋使だったか遣唐使だったか忘れましたが、男だと知ってがっかりした青臭い男子中学生も多かったのではないでしょうか。レオナルド・ダ・熊なんてのは、ヴィンチよりも素敵かもしれませんが、そもそもレオナルド熊を知っているナウなヤングはこの世にはもういません。レオナルド熊を知っている人はそこそこの年齢の人なのです。話がまとまりません。

というわけで、悪いことをしたら懺悔なのですが、懺悔というと「オレたちひょうきん族」の「ひょうきん懺悔室」が頭に思い浮かぶのですが、実は「ひょうきん懺悔室」をリアルタイムで見たナウなヤングはこの世にはもうおらず、そこそこの年齢になってしまっていますし、来タ!見タ!買ッタ!の喜多商店も知っている人は少なくなりました。

そのうち、STAP細胞のことも忘れてしまうのでしょうね。悲しい。合掌。

【素敵ブログ紹介】「何気ないどうでもいい情報」を人は求めている

視点蝶さんのブログ・本質感の記事「全ての人間は、生きてることで人の役に立っている」にめっちょこ元気をもらいましたのでご紹介。

私たちは、「すごい・とても重要な情報」を、常に求めているわけじゃない。

そうなんです!少なくとも私は「すごい・とても重要な情報」を常に求めていません。生き馬の目を抜くような情報は馬がかわいそう。ツチノコの情報だって、私にとっては重すぎるかもしれません。

通勤の電車の中、Kindle Paperwhiteで「ノストラダムスの大予言」を読んでいるのですが、2017年となった今、枯れた情報だから楽しんで読めるのです。 1998年に読んでいたら発狂するかもしれません。今だからこそ、五島勉のノストラダムスの予言の解釈に「いくらなんでもこじつけすぎや!」「そこは断定したらあかんて!」「ノストラダムス絶対そんなん言うてないし!」と大阪弁でツッコミ入れながら、内心けらけら笑って読んでいますが、これも「すごい・とても重要な情報」ではないことがわかっているからなんですね。

なので、日常では、「何気ないどうでもいい情報」を人は求めている。 そして、スゴイ情報でなく「人より少し知っている情報」ぐらいがちょうどいいし、心地いい。

ぐわぐわ団の記事というのは、ほぼ全てが与太話です。そして、私が気になっていること、例えば宮史郎のことであったり、ノストラダムスのことであったり、バニラの街宣車のことであったり、そういう初手からどうでもいいことをちょっくら加工して、「何気ないどうでもいい情報」どころか「何気にどうしようもない情報」に仕立て上げて、ブログの記事にしているわけです。でも、そういう「何気にどうしようもない情報」も、人の役に立っているのかもしれないと思うと、それはそれで嬉しくなります。

確かに、生きているといろいろあって、やさぐれることがあるかもしれません。キャンドルアーティストってなんやねん!なんでやねん!って、どれほどやさぐれたことでしょう。それでも、生きていくしかないのです。そんなとき、ノストラダムスが数百年後の車社会を予言していた!という情報が、どれほど心地よいか。どれほど、ホッとするか。心から安心できるか。ぜひ、考えていただきたいのです。

考えたところで、わけがわからないだけかもしれませんが、何気ないどうでもいい情報が役に立つんです。それはもう、ものすごくものすごいことなので、何気にどうしようもない情報をこれからもお届けしようと心を新たにするのでした。合掌。

◆ぜひ、視点蝶さんのブログをご覧ください。元気になります!◆

www.honsitukan.com

バニラの高収入求人情報を想像してみる

♪バーニラ!バニラ!バーニラ、きゅうじん!

♪バーニラ!バニラ!こ〜しゅうにゅ〜!

バニラの街宣車をご存知でしょうか。

この前、心斎橋に言った時に求人サイト・バニラの街宣車を3回も目にしてしまい、あのバニラソングに頭を洗脳されてしまったのです。軍歌を延々と流す黒塗りの街宣車より、バニラソングを延々と流すバニラトラックのほうが恐ろしいというかヤバい。「ヤバい」が便利すぎてまいっちんぐなのですが、それは本題ではないから置いておくとして、今回は高収入な求人情報とは何かを徹底的に想像してみようと思います。

高収入なバイトと聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは、大江健三郎の短編小説で作家デビュー作となる「死者の奢り」に出てきた「アルコール水槽に保存されている解剖用の死体を処理するアルバイト」だったりします。

ていうか「死体洗いのアルバイト」ってWikipediaにも載っているんですねぇ。都市伝説としてめっちょこ有名なようで、死体洗いのアルバイトを描いた小説や漫画なんかもたくさんあるようです。

大学の医学部では解剖実習用の遺体をホルマリンのプールにつけていて、その遺体を洗ったり、浮いてくると棒で突いて沈めるというようなアルバイトがある

相方も、中学2年生の時に臨時講師として招かれた先生から同じような話を聞いたことがあるそうです。私も誰から聞いたのかは忘れましたが、死体を棒で突いて沈めるという話は聞いたことがあって、しかもめっちょこ時給が高いという尾ヒレまで付いていたのです。

というわけで、♪バーニラ!バニラ!バーニラ、きゅうじん!に応募すると、もれなく「死体洗いのアルバイト」を斡旋されるのではないかと危惧しており、それは逆に万障繰り合わせて一度はチャレンジしてみたいかもと思わなくもないのです。

そもそも、街宣車を使って徹底的に洗脳教育を施すための費用はいかほどのものなんでしょうか。街宣車を一日走らせるだけで相当なコストがかかっているはずです。燃料費、歌の録音費用、歌手の人件費、トラック運転手の人件費、その他諸々。そんなコスト以上に利益が出ているからこそ、街宣車が街を走り回ることができるのです。

おそらく、大学病院とつるんでいるのでしょう。死体一突き1,000円で、うち300円はバニラ側の手数料みたいな感じになっているかもしれません。いや、かもしれませんじゃなくて、間違いなくバニラ側に何かしらのお金が入る仕組みになっているのです。世知辛い世の中です。合掌。