日曜日の例のアレです。
ぐわぐわ団は陽気ではないのかもしれません。合掌。
これが怒らずにいられるか!という話なので、怒りに任せて感情を叩きつけるような文章を書いてみようと思います。
それはそうと、最近はアンガーマネジメントといって、怒りの感情をコントロールする、怒りの連鎖を断ち切るという考え方が少しずつ浸透してきたようで、もっとこういう考え方が広まってくれたらいいなと思っています。
私自身はこの「怒らないこと」という本をかなり前に読んでからというもの、怒るのは負のエネルギーを増幅させるだけで良いことはひとつもないと考えています。怒ることは破壊なのです。アンガーマネジメントが目指すのは怒りのコントロールですが、それよりもむしろ、怒りという感情そのものを毛嫌いする感じです。
怒っている人を見たらイライラしませんか?海原雄山が「こんなものが食えるか!」と怒り狂って皿を投げる場面を見てげんなりしませんか?山岡さんが「こんな店では何も食べちゃいけない。うまいとか、まずいとかいう以前の問題だ!」と叫ぶのを見てもんにょりしませんか。美味しんぼを読んでいたら、とにかくお前らもうちょっと落ち着けと思うことが多々ありますが、怒りこそ諸悪の根源なのです。
理想としては、海原雄山が出される料理をニコニコして「美味しいです」と言い、山岡さんが嬉しそうに「この店は素晴らしい」と褒め、栗田さんがかわいいというのが美味しんぼのあるべき姿なのです。
前置きが長くなりました。怒ったらダメなのは十分承知で、それでも怒らずにはいられないことがあるのです。何に怒っているのかと言うと、菅首相が掲げた「最小不幸社会」というスローガンに対してです。
不幸を最小にするとはどういうことかと。国のトップがそんな後ろ向きな発想でいいのかと思うのです。みんなで幸せになろう!と、なぜ素直に言えないのか。ひねくれるにもほどがある。もちろん、世の中には不幸なこともあります。そんなことは百も承知です。でも、理想を語る言葉が「最小不幸社会」だとして、そんな言葉に希望が持てるわけがないのです。テストで赤点とらないようにする!と宣言するようなもので、最初からそんなもん目指すなという話です。私は怒っています。
なぜ、今更こんなことに対して怒っているのか!と怒らないでください。合掌。
心で感じましょう。
反戦の祈り。合掌。
アメリカンドッグです。
なぜアメリカンドッグというのか知りませんが、キングオブジャンキーなお味がして、とても美味しいのです。アメリカ人は毎日こんな美味しいものを食べているのでしょうか。アメリカ人がとってもうらやましい。
棒に刺さっていて食べやすいし、食べながらでも歩いたりできるので、ビジネスマンにはぴったりなのかもしれません。アメリカンの由来はもしかしたらこんなところにあるのかもしれませんが、食べている途中で転んだらそれこそ大ケガしますので、歩きながらアメリカンドッグはあんまりオススメしません。
このアメリカンドッグを木のお皿に乗せたら、アフリカンドッグになります。
突然ですが、私が毎日楽しみにしているayakoさんのブログ、おしゃれで楽しくて記事がアップされていたらワクワクしていそいそと読みます。こういう文章が大好きなんですよね〜。今日の記事も、なんだろう、本当におもしろくて素晴らしい。
自分では書けない文章とか、自分ではできない体験とか、そういうのに憧れているのかもしれません。こちらのブログも自分ではできないイギリスでのお話。
まーさんのイギリスからのブログ。ワーホリって何?ぐらいだったのですが、読み続けているうちになんとなくわかってきたというか、でも一歩も外に出ずに原稿を描いておられたりで、なんだかいろいろ気になってしまいます。
そして、毎日楽しみにしていると言えば、まゆちゃんさんのこちらのブログ。
四コマ漫画がメインで、とにかく外出しないでおふとんが大好きな感じなスコちゃんが、なぜか兵庫県立美術館に行かれたようです。ものすごく力を抜いて楽しませてもらっています。
深夜ラジオを聴くテンションがよくわからなくてステキなスコちゃん。私も中学生の時にKBS京都の「はいぱぁナイト」を聴いてはフヒッとしていたので、ものすごくよくわかります。はい火でペンネームを付けてあげようのコーナーでお酒が大好きという人に「巨泉泥酔」というペンネームを付けてあげたことがありますが、今も「巨泉泥酔」さんはお元気でしょうか。私もペンネームをつけてもらったのですが……
まぁ、それは黒歴史ということで。
それはそうと、先ほど紹介した"Sweet+++ tea time"のこちらの記事!
母の日のプレゼントの参考にさせていただきました。ものすごく助かりました。ありがとうございました。というわけで、パッションのおもむくままに書きました。合掌。
他人がむすんだおむすびを食べられない人がいる問題。
コンビニのおむすびは食べられるのに、人がむすんだおむすびは食べられない人がいるそうで。世の中の清潔第一主義がついにここまで!みたいな話でまとめちゃうのも、それはあまりに短絡的というか。
おむすびをむすんだ人が身内や知り合いなら、ほとんどの人が食べられると思うのです。もちろん、むすんだ人があんまり仲良くない人とか、実は嫌いな人だったりすると、食べられなくなることもありそう。
目の前の友だちがむすんでくれたおむすびなら食べられるけれど、友だちのお母さんがむすんだとなると、ちょっと抵抗が出てくるとかも可能性としてあるわけで。
つまり、おむすびを食べられる、食べられないというのは、食べる側とむすぶ側の信頼関係によるのではないかなと考えたのです。
この人のむすんだおむすびなら安心、このおむすびをむすんだ人は全然知らないから不安、こんな毛むくじゃらのおっさんがむすんだおむすびはイヤ、綾瀬はるかがむすんだおむすびなら絶対に食べたい、いろいろあると思うのです。
コンビニのおむすびは、工場でむすんでいて絶対安心という信頼感があるからこそ、成り立つ商品だったりするわけです。おむすび屋さんみたいなところだと、店員さんがめっちょこ完全防備で、手袋もマスクもきちんとしているところをわざと見えるようにして、安心ですよ〜というアピールしたうえで、おむすびをむすんでいます。
つまり、おむすびというのは、相手との信頼関係を推し量るための手段と言えます。
「てめえ!俺のむすんだおむすびが食えねえと言うのか!」
極道において契りを結ぶ際には盃を交わしますが、今後はおむすびを食べる、食べさせるというふうになるかもしれません。お酒飲めない人に無理やり飲ませたらアルハラになりますからね。極道というのは、ただでさえパワハラっぽい職場なのに、その上、アルハラなんてしようもんならエラいことです。
さきほど、綾瀬はるかがむすんだおむすびなら絶対に食べたいと書きましたが、これは私が綾瀬はるかを信頼しているということです。綾瀬はるかとの面識はありませんが、近い将来、おむすびをむすんでくれる日が来ないとも限りません。その時に、躊躇なくおむすびを食べることができるのか、頭の中で何度もシミュレートした結果、食べられると判断しました。つまり、私は綾瀬はるかを信頼していると言えます。広末涼子でも結構です。よろしくお願いします。合掌。