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セーラー服を脱がさないで

「セーラー服を脱がさないで」という破廉恥な楽曲があります。かような楽曲を宮四郎のようなおっさんがねっとりと歌うのならともかく、おニャン子クラブという学業の一環としての倶楽部活動とは思えぬ婦女子の集団がわーきゃーしながら歌うのである。日本も終わりだ。

しかも、セーラー服というのは水兵さんの制服のことである。水兵さんにセーラー服を脱げというのは、いわば解雇宣告であると言えよう。おニャン子クラブたる未成年と思しき婦女子が海軍の人事権という圧倒的な権力を持っているはずがなかろう。ふざけた話である。陸軍の歩兵さんに対して迷彩服を脱げと言っているのと同意である。このようなことが許されてはならない。

何を仰る、セーラー服は女子校の制服であり、水兵さんを想定した楽曲ではないと申される御仁もおられよう。水兵さんのセーラー服を脱がす行為ですら破廉恥極まりなく、日本は終わりだというのに、女子校生のセーラー服を脱がす行為など断固として許されざる行為ではないか。いくら阿婆擦れの女子校生であろうと、破廉恥であることには間違いない。日本どころか世界の終わり、人類の終焉である。

このように、セーラー服を脱がさないでという歌が昨今世の中でヒットしているというのは、不詳まけもけ、断固として抗議、いや遺憾の意を表する次第である。細川たかしの「だっこしてチョ」も相当破廉恥であるとは思うが、これは抱擁を望む人間のあるべき姿である。

政治・社会時評家であった大宅壮一が死ぬ直前に妻に言った言葉が「おい、だっこ」であったという。このエピソードからも「だっこしてチョ」と歌うことに異論はない。人間の温かさを感じながら死にたいという、実に人間らしい姿であり、私自身も涙なしには語ることはできない。

一方、セーラー服を脱がさないでとは何事か!激昂のあまり憤死するところである。このような日本に誰がしたか。全ての日本国民に猛省を促したい。

ちなみに、アダルトビデオにおいて「女子高生」は存在せず、「女子校生」という表記になっていることは言うまでもない。合掌。