天王寺公園の一角に、慶沢園という純日本風の庭園があります。入園料150円で、ぼんやりとできるステキなところです。
庭園の中の「四阿(あずまや)」から見た風景。
こちらは逆向き。あべのハルカスを見上げたところ。
天王寺でお買い物をして、人がたくさんで疲れたときには、慶沢園で休憩するなんてのがオススメだったりします。人があふれているなんてことはございません。
こちらが慶沢園の歴史が書かれた立て札。
もと住友家茶臼山本邸内の庭園で、木津聿斉(きづいっさい)の設計にて、京都の名庭園師小川治兵衛の手により明治四十一年に着工し、大正七年に完成した。
その後、大正十年に住友家の転宅とともに、昭和元年に慶沢園を含む茶臼山一帯の土地を大阪市に寄付され、天王寺公園の一部となった。(後略)
Wikipediaにも同様の記載があります。
元は住友家の茶臼山本邸庭園として、1918年(大正7年)に完成した。1908年(明治41年)に木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始されて以来、完成までに10年を費やしている。大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式(林泉回遊式)で、全国から名石・名木を集めた広大な庭園となっている。 1921年(大正10年)に住友家が大阪市に寄付を打診。1925年(大正14年)に住友家本邸が神戸に移転したことで、隣接する旧本邸敷地(現・大阪市立美術館)、茶臼山とともに寄贈された。
ここで、大いなる謎が。
明治41年に作り始めて、大正7年にようやく完成。にも関わらず、大正10年に大阪市に寄付を打診しているのです。
せっかく作った庭園を3年で寄贈してしまうというのはどういうことなのか。 私なら、そんなもったいないことはしません。慶沢園はものすごくステキな庭園ですし、自分でニヨニヨするために自分のものとして置いておくことでしょう。もしくは、今のように入園料を取って、細々とながら収入にしてしまうかもしれません。
完成してから3年間の間に何があったのか。今回のぐわぐわ団は珍しく、この問題を徹底的に検証してみようと思ったのですが、寄贈を決めた15代目の住友吉左衛門は既に鬼籍に入られており、コンタクトのしようがありません。どこかの新興宗教の教祖様に「霊」を降臨していただき、インタビューするぐらいしか方法がないのですが、そもそもどこかの新興宗教の教祖様にコンタクトする方法すらわかりません。
これぞ八方塞がり。
というわけで、自分で考えるしかないのですが、結論としては……
飽きた
3年も楽しんだので飽きたのでしょう。そして、15代目の住友吉左衛門は大正全国富豪番付で西日本1位だったぐらいの大富豪だったので、慶沢園を売ったとしてもごっそり税金を払わねばならず、それならいっそ大阪市に寄付してしまったほうがええやんぐらいに考えたに違いないのです。
これで謎は解けました。我ながら「飽きた」で歴史検証を終わらせてしまうぐわぐわ団に驚きを隠せませんし、歴史学者の風上にも置けません。合掌。