ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

ヴァイオリン職人の未来を考える

ジブリの『耳をすませば』をずるずると引きずっています。今回は天沢聖司がヴァイオリン職人を目指すというので、果たしてヴァイオリン職人となる道がどのようなものなのかを検証しようと思ったのですが、調べれば調べるほど「難しいよ」「苦労するよ」「やめたほうがいいよ」と否定的な意見を言う人・ドリームキラーになってしまいそうなのです。「ヴァイオリン職人など許さん!結婚を前提とした人がいるなら、まずは大学へ行け!大企業へ就職しろ!もしくは公務員になれ!安定した生活を営め!」みたいな、そんな記事を誰が読みたいと思うのか。そういう記事を書いて、今の若者にガツンと言ってやったぜ!みたいなドヤ顔をして、PVが伸びない!とボヤくような人になりたいのかと言えば、あんまりなりたくもないものです。好きな言葉ではありませんが「老害」という言葉が、そっくり当てはまりそう。

大企業で勤めたり、公務員として働いたりすることが幸せと思う人がたくさんいるのはわかりますし、そういう価値観は十分過ぎるほど理解できます。でも、それを人に押し付けるのはよくないですよね。たとえ、自分の子どもであっても。将来、食べていけるのかわからないけれど、自分の可能性を信じてヴァイオリン職人を目指すというのであれば、本来は応援してあげるべきなのです。

ヴァイオリン職人ならね。

ここで問題となるのが、天沢聖司がヴァイオリン職人ではなく、チャランゴ職人を目指すと言いだしたとしたら、果たして応援してあげるべきなのかどうか、なのです。

チャランゴとは、見た目は小さいギターというか、ウクレレみたいな弦楽器です。南米アンデス地方周辺の民族音楽・フォルクローレに使われます。最大の特徴はアルマジロの甲羅を使って作るということ。今はアルマジロの生体数の減少により、アルマジロの甲羅ではなく木を使って作るようになっているのですが、もともとはアルマジロの甲羅なのです。

ワシントン条約により、アルマジロチャランゴは輸入禁止となっているため、日本で入手するのはかなり困難です。

チャランゴで検索をかけると画像もたくさん出てきますが、毛が生えていたり、姿がまんまアルマジロだったりと、インパクトだけはものすごい楽器です。そして、なんとなく臭いらしいです。もともと獣だっただけに仕方のないことです。

天沢聖司が、チャランゴ職人になるために南米に行き、10年間は帰ってこないが、一人前になった暁には結婚してくれと言われた場合、月島雫はどう返事をするのでしょうか。私としては、たとえドリームキラーと言われようとも、チャランゴはやめとけ!せめてヴァイオリンにしておけ!と諭したいと思います。合掌。

THE・ジャーナリスト

自分自身はぐわぐわ団でぽわぽわと与太話を書いていたつもりだったのですが、人の見方は十人十色というか、ぐわぐわ団は実は「THE・ジャーナリスト」らしいです。

gattolibero.hatenablog.com

どうしても、社会派で骨太、有益かつ正確な情報が知りたければ、ぐわぐわ団っていうブログがあるから、そっち読んでよ。

社会派で骨太、有益かつ正確な情報が知りたい人はぐわぐわ団を読めばいいですよと紹介してくださっています。ぐわぐわ団を書いている当の本人が「そうだったのか!」と目から鱗です。半魚人です。確かに、自分では与太話のつもりだったのかもしれませんが、無意識のうち骨太、有益かつ正確な情報に満ち満ちた文章になっていたのかもしれません。己の中にある無意識なジャーナリズムの血が沸々と滾っているのかもしれませんね。イヤァオ!

ジャーナリストと言えば有名なのがジェームス・スミスです。死ぬ直前まで生きていたことで有名です。ジャーナリストの鏡のような人で、目の前にジャーナリストが来ると、すぐにその人の真似をしたそうです。

そのジェームス・スミスが生前、よく口にしていた言葉があります。

「おかあちゃん、ごめんちゃい!」

これは、ぼやき漫才の人生幸朗師匠の決め台詞でもあります。「まあみなさん、聞いてください!」から始まり、徹底的にぼやきにぼやいて、相方から「いつまでボヤいとんねん! この泥亀!!」と手厳しいツッコミが入り、「おかあちゃん、ごめんちゃい!」とかわいくおどけて演目終了。この決め台詞があるからこそ、途中のぼやきもネタとして成立するわけです。単にぼやくだけではなく、ぼやきを話芸にまで昇華した人生幸朗師匠の漫才は今なお漫才を志す全ての人のお手本として、繰り返し繰り返し観て勉強してもらいたいと思うのです。

話がそれました。ジャーナリズムに満ち満ちたぐわぐわ団なので、骨太、有益かつ正確な情報をお届けするためには、どうしても万人に愛されるというわけにもいきません。先日はパワーウォリアーと佐々木健介が同一人物ではないかというガセネタをみなさまに提供し、佐々木健介からストラングルホールド・ガンマをかけられそうになるという危機的状況に陥ったわけですが、このようなことは往々にして起こり得ることです。

ブログを書いていると、どうしても読んでくれる人の目が気になったり、こんな文章を読んでもらって気を悪くしないだろうかと思ったり、どんどん文章が書けなくなることがあります。そんな時は「知らんがな」くらいがちょうどいいと思います。お気楽に筆を取りましょう。筆。合掌。

非接触ICカードの仕組みを知ったかぶるよ

PiTaPaやICOCA、Suicaといった、わざわざ財布から出さなくてもピッとするだけで改札を通ることができるカード、便利ですよね。これらのカードは「非接触ICカード」と言うのですが、どうしてほんのわずかな時間ピッとするだけでよいのでしょうか。その仕組み、私はちっとも知らないのですが、わかりやすく知ったかぶって説明します。

まず、自動改札機の中には小さいおっさんが入っています。小さいおっさんが誰かが来るのを今か今かと待ち構えています。小さいおっさんは特殊な訓練を受けており、来る人が「非接触ICカード」を持っているか、そのカードが使えるのか、持っているふりをしているだけではないかといったことを鋭い眼力で瞬時に見極めることができるのです。

「もしかしたら残額足りないかな〜?」とか、「nanacoと一緒に財布に入れてるけど大丈夫かな〜?」といった自信のなさがどこかに表れていた場合、おっさんは全力で止めにかかるのです。東京の小さいおっさんは残額が初乗り運賃以上ではないと止めてしまいますが、大阪のおっさんはそこまで訓練されていないので、残高が少しでもあれば通してしまいます。そのあたりは地域による差と言えるでしょう。

 つまり、小さいおっさんと自分との「阿吽の呼吸」こそが、自動改札を通る仕組みなのです。小さいおっさんを騙すことができれば、自動改札など恐れるに足らずなのですが、残念ながら小さいおっさんはシャレにならんぐらいに人を見る目があります。訓練されまくっていますので、お目こぼしを願うなどというのは非常に困難であると考えて間違いないでしょう。

「非接触ICカード」という名前の通り、接触もせずに判断する以上、小さいおっさんが日夜頑張っているのです。我々の便利な生活の裏には、小さいおっさんの努力が隠されているのです。

それはそうと、最近では自動改札機に入る小さいおっさんが慢性的に人手不足となっております。今いる小さいおっさんだけでローテーションを組んでいるせいで、かなりの過剰労働を強いることになっているようです。いまいち反応が悪い自動改札というのは、あまり訓練されていない小さいおっさんが入っているのですが、本来であればもっと訓練を重ねたうえでデビューするところ、そこそこでデビューさせられてしまうのです。だから、自信がないから過剰反応して止めなくてもよい人まで止めてしまったりするのです。

みなさんも、小さいおっさんに感謝はしましょう。合掌。