ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

はなをかむ

相方がiPadに描いていた、みつをっぽいのです。

鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻をかんでも、鼻水は止まらない。それどころか、鼻水が詰まって死ぬのではないかという恐怖。それでも、鼻をかむしかない、人間はちっぽけな存在なのです。人間だもの。

やって参りました、花粉症の季節です。毎年地獄です。どうして、スギのセックスのせいで私が辛い思いをしなければいけないのか。スギのおしべ全てにゴムを付けて回ってやろうかと思うぐらいに、毎年地獄です。

青少年が勉学のために積極的に読む、文部省推薦のぐわぐわ団にあるまじき発言をしてしまいました。なんだかすごくゲスい感じになってしまいました。申し訳ございません。スギのセックスにファック!ゴムつけろ!は不適切な表現でしたので、杉の性行為に嫌悪!避妊具を装着せよ!に改めさせていただきます。

ひどい記事にしかならないぐらいにスギ花粉にはやられっぱなしです。一応、花粉症の薬はもらっているんですよ、でも、そんなのたっぷりのスギ花粉の前には正直無力です。鼻水は尽きることなく流れるのです。水分を取らなかれば、数時間の後には脱水症状を起こして死に至るのではないかと思うぐらいに。自分の頭が鼻水製造機みたいになるんだもん、スギ花粉のせいで。そして、鼻水製造機に全てのリソースを投入してしまい、頭はアホになるのです。残念なことです。合掌。

うちに「1日7分でおえかきがじょうずになる本」があるのです。

須羽ミツ夫だけではなく、すわ親治も応援しましょう。合掌。

末っ子の私は殺される

おどろおどろしいタイトルですが、いつもの与太話です。

「♪ポケットの中にはビスケットがひとつ〜」の節回しで「♪末っ子の私は殺される〜」と歌ってみてください。なんとなく軽い感じですが、しっくりくると思いませんか?「ビスケットがひとつ」の部分を、「殺される」と長めに歌うのがコツです。さあ、これであなたの頭の中にはずーっと「♪末っ子の私は殺される〜」というイヤーワーム、歌の一部分が心の中で強迫的に反復される、俗にいう「音楽が頭にこびりついて離れない」現象の完成です。めでたし、めでたし。

『私は殺される』という映画は実際にあるんですよ。1948年に作られたアメリカ映画です。あらすじをとあるサイトで読んでみたのですが、なんのこっちゃかさっぱりわかりませんでした。たぶん、サスペンスというか、スリラーというか、そんな感じです。

『私は殺される』より「末っ子の私は殺される」のほうが、より怖さが増しませんか?

なぜ、末っ子の私が殺されるのか?末っ子であるというありきたりの事実によって、人が殺されるというミステリー。サスペンス小説としては、かなり人を惹きつけることができるのではないでしょうか。「末っ子の私は殺される」で検索をかけても、ぴったり当てはまる言葉、作品、サイトは見つからなかったので、今から「末っ子の私は殺される」というタイトルの小説を書けば、そこそこのヒット間違いなしです。

メルカリか何かでこのタイトルの権利、売れませんかね?

横溝正史あたりに復活してもらって、書いてもらえやしませんかね?

私が小説を書けば、そりゃあもう、ものすごいものができあがるんですよ。おわかりかと思いますが、ものすごい駄作が。

トンネルを抜けると雪国だった。私は猫である。羅生門の下で、末っ子の私は殺されるのだ。坂の上の雲がきれいな空の下、舞姫が舞い、イワンのばかとの友情が変身し、たけくらべしまくると檸檬をTSUTAYAに置いてきて爆弾でどかーん!あわれ、末っ子は檸檬爆弾の爆発に巻き込まれて殺されてしまった。一方、注文の多い料理店に現れたのは金田一小五郎!檸檬を置いたのは梶井基次郎か、それとも破滅の罠か、名探偵の推理が冴え渡る!

腐ってやがる!早すぎたんだ!

こんな感じになります。日本文学のいいところを取り入れながら、日本を代表する作品を作ろうと意気込んだ結果、わけがわからなくなって、できあがったのがこんなの。ひとつひとつは素晴らしいのに、混ぜてしまうと駄作になるよい例です。

というわけで、誰か「末っ子の私は殺される」を書いてください。合掌。

『かぞえてんぐ』を見ると心が落ち着くのでおすすめします

NHK教育の子ども番組「おかあさんといっしょ」のワンコーナー『かぞえてんぐ』を見ると心が落ち着くのです。生きていてよかったと思える瞬間です。ジャイアント馬場率いるファミリー軍団と悪役商会のプロレスのように、ほっこりとします。

『かぞえてんぐ』がどんなのかと言うと、うさぎみたいなキャラクターのチョロミーと、数を数えることが快感というかぞえてんぐの脳天唐竹割り寸劇です。とりあえず、チョロミーが妙になまめかしくてエロいのでお気をつけください。ネット上ではウザいとか色々と書かれていますが、私が初めてみた時の感想は「なまめかしい」でした。目が若干半開きになっていて固定されているところ、口が以前流行ったあひる口なのと、パキパキした動きのなかに色気があって、とにかくなまめかしくてエロいです。チョロミーを見ているだけでも、ものすごく元気になります。

そんなチョロミーが、何かを持っているところから話は始まります。タイトルコールが終わった直後、チョロミーが「ピーマン!」と叫んで始まったこともあります。何がどうとかそういう話ではなく、とにかく「ピーマン!」ですよ、「ピーマン!」。それだけでもう、度肝を抜かれるわけですよ。すごいですよ、チョロミー。しかもエロい。「おかあさんといっしょ」なのにエロい。さすがNHK教育。どんな教育なんだかわかりませんが、たぶんとっても大事な教育なのです。

そして、かぞえてんぐが登場。ピーマンを数えさせろと興奮しまくりです。数えただけでオーガニズム爆発するかぞえてんぐ。本当に大丈夫なのかと思わせるハイテンションぶりに、ブラウン管の向こう側の世界に恐れおののく始末です。

そして、後ろに座っていた歌のお姉さんが「ふふふふ……」とあざ笑うと、子どもたちが一斉にピーマンを数え始めます。「いーち!」「にーぃ!」だいたい6つか7つぐらい数を数えるのです。

全部数え終わると、絶頂を迎えたかぞえてんぐの鼻から何かが飛び出します。もはや、文章に書くと、どんな表現を使ったところで「あほが書いた文章」にしかならないところがすごいところで、どうしようもありません。文章の限界です。日本語の限界です。英語でもたぶん無理です。表現のしようがないのです。NHK教育はすごすぎます。

時間にして数分間なのですが、とにかく見ると心が落ち着きます。生きていてよかったと心の底から感謝できます。それぐらいにすごいのです。ぜひご覧ください。合掌。