ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

水曜どうでしょうのライブビューイングに行ってきました

大阪・天王寺のあべのアポロシネマで映画を観ると、ほぼ100%「日光ホーム」のCMを観ることができます。というか、観ることになります。どんなCMなのかは表現しにくいので、機会があれば是非一度、現地でご覧頂ければと思います。本当にわけがわからないから。宣伝効果があるんだろうか、見ているこっちが心配でヒヤヒヤします。

それはそれとして、少し前になりますが「水曜どうでしょう祭」のライブビューイングに行ってきました。ライブビューイングというのは映画館のスクリーンで生中継のイベントを楽しむもので、実際のライブに行くのはしんどいけれど、大きい画面で集中してライブを観たい!という人にはもってこいです。

それもこれも技術の進歩のなせることです。昔は映画館で上映が終わったら、急いでフィルムを自転車に乗せて、となり町の映画館にフィルムを運んで、とにかくフィルムをやりくりして映画を上映していたのです。もちろん、生中継でライブビューイングなんてできるわけもなく、時には映写機が途中で止まってしまうなんてことも。

今はなき北野劇場で「ファイナルファンタジー」の映画を観ていたら、微妙な表情をしているキャラクターのドアップのシーンでびたーっと画面が止まってしまったのです。とはいえ、この話をするのは何度目だろうか。「ファイナルファンタジー」の映画というのはびっくりするぐらいにお金をかけて全部CGでこしらえて、いざ上映してみたらちっともお客さんが入らずに会社が倒れかけたという悲惨な映画なのですが、私も途中で映写機が止まらなければ、ちっとも覚えていなかったに違いないのです。というのも、どんなストーリーだったか全く覚えていないのですから。

というわけで、「水曜どうでしょう祭」のライブビューイング、たっぷり3時間を映画館で楽しんできました。あれほど長いこと映画館の椅子に座っていたのはいつ以来でしょうか。東映会館の最後に行われたスゴい映画3本立ての上映会以来かもしれません。千葉真一主演のわちゃわちゃした映画、「女番長」というこってりした映画、そして「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の3本を続けて観せられて、おしりが痛いんだけど、おもしろくて、最後の「おかーさーん」のシーンでみんなが拍手をするという、あの体験は一生忘れることはないでしょう。何のことかさっぱりわからないと思いますが「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」は何度でも言いますが、一度観ておくとよろしい。合掌。

江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 [DVD]

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最後に運動したのはいつ?

今週のお題「運動不足」

はてなブログの今週のお題が「最後に運動したのはいつ?」だったので、とりあえず「大正13年の秋」だと答えておきます。もちろん、でたらめです。

子どものころ、父親の勤め先の運動会に行ったことがあります。今では会社が運動会をするなんて少ないと思いますが、私が子どものころはそういうのがまだある時代で、うちの父親、運動なんてまるっきりしないうえに思いっきり人付き合いが苦手だというのに、なぜか参加していました。イヤイヤだったのか、そこそこ乗り気だったのかはわかりませんが、とにかく参加していたのは事実です。しかも、その運動会は家族も参加することになっていて、両親と一緒に付いていったのです。

本当に古き良き時代としか表現のしようがないのですが、学校の運動会と違って、会社の運動会というのは、かけっこして1位になったりすると、お菓子がもらえたりするのです。私もかけっこや障害物競争なんかに参加して、何かもらっていたと思います。何をもらっていたんだろう、そのへんは記憶があいまいでよく思い出せません。

父親も何かの競技で走っていたのですが、その様子がまるで「失格になる競歩の歩き方」みたいな走り方で、子どものときは無邪気に「お父さん、変な走り方!」と笑っていたのですが、今となっては笑えなくなりました。いざ走ってみるとわかるのですが、カール・ルイスやベン・ジョンソンのようにかっこよく前傾姿勢で走るなんてできないのです。全力で走るなんてできませんし、まずは転ばないように気をつけねばなりません。身体を前に倒すなんてもってのほかです。すると、身体は直立してしまい、気がつくと「失格になる競歩の歩き方」みたいになってしまうのです。

若い人にはわからないかもしれませんが、年を重ねるというのはこういうことなのです。変な走り方をしている人を見ても、笑ってはいけないのです。

パッと、ウサイン・ボルトという名前が思い浮かばずに、カール・ルイスやベン・ジョンソンという名前が思い浮かぶのはどうにかしたい今日この頃。合掌。

台風19号と地球温暖化について

台風19号、しっちゃかめっちゃかでしたが、みなさん大丈夫でしたでしょうか。私の住んでいるところは幸いにも何事もありませんでした。被害にあわれた方が1日でも早く普段の生活に戻れますように。

さて、日曜日なのでぼんやりとテレビを見ていたら、台風19号のことと地球温暖化のことを結びつけて「台風19号の原因のひとつは地球温暖化だ。今の生活を変えて二酸化炭素を減らさないと大変なことになるぞ!」とボケたことを言い始めて、そんなの見なければいいのですが、ついつい見てしまってイライラしたのでその理由を書きます。

ひとつめ。台風19号の勢力が強くなった原因のひとつが地球温暖化だと言っていること。1200人以上の犠牲者を出した、1958年の狩野川台風も地球温暖化が原因のひとつだったのでしょうか。江戸時代に発生して江戸に甚大な被害を与えた「安政3年の台風」も地球温暖化が原因のひとつなのでしょうか。平安時代においても台風*1が来たという記録はありますが、それも地球温暖化が原因のひとつなのでしょうか。当たり前のように「最近の台風は異常=地球温暖化が原因」と決めつけて話をするのはどうかと思うのです。

ふたつめ。仮に台風19号の被害が大きくなった原因のひとつが地球温暖化だとして、便利な生活を享受している私たちが悪いと暗に言っているのがものすごくイヤ。天災の原因を勝手にこちらに押し付けないでもらいたいのです。実際に台風の被害にあわれた方たちに「あなたが被害にあったのは、あなたの生き方が原因だ!」と言っているようなものです。天災という不幸をダシにして地球温暖化の対策を進めないと、もっと大変なことになるぞと脅しているのと同じことですから、とんでもないことです。人としてどうかと思います。

みっつめ。地球温暖化対策を便利な生活との決別と勘違いしていること。二酸化炭素を減らすためには今の生活を見直さなくてはならない、そのためには生活の便利さを犠牲にしないといけないのだと勝手に思い込んで話を進めてくるのがイヤなのです。私たちは便利な生活を求めて、頑張って働いてお金を稼いで税金を払っています。そして、いろいろ使い道で意見の相違はありますが、みんなの税金を使って堤防を作ったり、ダムと建てたり、ハザードマップをこしらえたりして、少しでも天災の被害が少なくなるようにしています。便利さを犠牲にするというのはお金を犠牲にすることであり、それはすなわち人命を犠牲にするということです。こういうことを本末転倒と言います。

みっつめの理由は論理がすっ飛んでいると自分でも思いますが、とにかくイライラしたので記事にしました。合掌。

*1:当時は台風とは呼ばないものの実際は台風