ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

Twitterに私のニセモノがいる

それでは、学級会をはじめます。今日の議題は、まけもけさんのニセモノについてです。まけもけさんは、そんなにフォロワーさんがたくさんいないんです、アルファツイッタラーじゃないんですよ。そんな、弱小ツイッタラーでしかないまけもけさんのマネをしても、誰も得をしないでしょう。誰ですか、こんなことをしたのは。

名前も「かちもけ」って……。まけもけさんは著作権をやたら気にするので、自分で絵を用意していますが、かちもけさんは思いっきりマイナンバーの広報用ロゴマーク・マイナちゃんを使っています。確かにマイナンバー制度が背後にある以上、思いっきり勝ち組ですけどね、このうさぎ。マイナンバー制度が崩壊しないかぎり、食いっぱぐれがないんですから。なんともうらやましい。

とはいえ、このマイナちゃんを使うのはややこしいんですよ。

マイナンバー社会保障・税番号制度

使用規約や利用ガイドラインがしっかりと決まっていますし、マイナンバーの普及・啓発以外の目的に使用することは禁じられているのです。まけもけさんのマネっこするために使うことは、一切の権利を所有する内閣府を敵に回すことになるのです。

コメントはちょっといい感じですけどね。「ごろごろしたり、にょんにょんしたり」。まけもけさんは「ぐわぐわしたり、もんにょりしたり」ですから、かちもけさんがまけもけさんのマネっこをしているのは明らかです。なんですか、伝説の橋の下って。

かちもけさん、8月11日に「てすてす…」とツイートしてから、以降一度だけツイートしているだけで、他には何にもしていません。そのツイートがこちら。

これまたわけのわからんリプに対して、何を律儀にお断りをしているのか。「かなりキュンキュンすると思います♪」ってのも、かなりもんにょりするのですが、なんでまた17日後の、しかも15時とかいう微妙な時間に突然返事をしているのか、さっぱりわけがわかりません。正体は誰なんでしょう、今なら先生怒らないから名乗り出なさい。

それと、かちもけさん、86人もフォローしてるんですが、公式マークが付いた有名アルファツイッタラーばっかりフォローしているんです。これもまた、わけがわからないんです。もうちょっとなんとかならんのかと思うんです。詰めが甘いというか、いまいちセンスがないというか。

そんなわけで、今日はじめて気がついたんですよ、かちもけさんの存在に。なんでよりにもよって私のニセモノがいるのって。私の友人のいたずらかと頭によぎったのですが、私の友人ならもうちょっとフォローする人を選ぶだろうし、細かいところで詰めがしっかりしているはず。もちろん、天地天明に誓って自作自演ではありません。自作自演なら、もっときっちり作りこみます。少なくとも、マイナちゃんは使わない。内閣府怖いもん。

というわけで、正体は誰なんでしょう。悪さをするでもなし、とりあえず放置しておきます。合掌。

追記:坂津佳奈さんがブコメで「まけもけさんが知らないだけで、実はこっそり血の繋がった妹が居るという設定でどうか。」と書かれていましたが、リアルな話、私には血の繋がった妹がいますし、妹は私のマネっこをするほどヒマではないはずです。せっかくのご提案ですが、そういう設定はなしということでよろしくお願い申し上げます。合掌。

一万円札の肖像画

福沢諭吉には飽き飽きしているのです。

 

お金持ちの代名詞とも言うべき「おさつ風呂」に入るじゃないですか。そしたら、福沢諭吉が体の隅々までガン見してくるわけですよ。極限までの至近距離から。24の瞳どころか、2億4000万の瞳で、福沢諭吉が私の身体を!隅々まで!舐め回すように!

2億4000万の瞳はさすがに言い過ぎのような気がします。それだけの瞳を集めるのに日本円で一体いくらかかるのか、計算してみようかと思いましたが面倒なのでやんぴにしました。12桁の計算機でもオーバーフローするんだもん。

それはそうと、福沢諭吉が一万円札に登場したのが昭和59年。それから結構な年数が経ってます。これもまた計算するのが面倒なので、各自で計算願います。昭和59年以降「おさつ風呂」に入るたびに福沢諭吉がガンガンガン見してくるんです。最初は新鮮でしたが、だんだん飽きるのも無理はありません。また福沢か……と、ため息をつく日々。みなさん、同じ気持ちではないでしょうか。

この際、一万円札の肖像画を新しくしたほうがよいのではないかと思うのです。ただ、日本を代表する人物で、一万円札にふさわしい人となると、かなり限られてきます。

例えば、文豪・トルストイはどうでしょう。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などがあり、文学のみならず、政治や社会にも大きな影響を与えており、一万円札にふさわしいのではないでしょうか。実はロシア人というのが玉にきずではあるのですが、面倒なので日本人ということにしちゃいましょう。二重国籍で日本の国籍を持っていたとか適当にでっちあげればよろしい。ロシアが「トルストイを返せ!」と抗議をしてきたら、北方領土と交換すれば万事解決です。自分で考えて、こんなに素晴らしい方法があるんだと感心しきりです。

トルストイで異論があるとすれば、我が師匠ドストエフスキーはどうでしょうか。『老人と海』といったような素晴らしい小説を書かれています。なんせ、名前がドストエフスキーですよ、今、ドストエフスキーが生きていたとして、ライトノベルなんかを書いていたらバランスが悪くて仕方ありません。『ぺよぺよぷーぷーの妹が弟でだめかもしれない事件簿パート3』著・ドストエフスキー。ずっこけます。ロシアが「ドストエフスキーも返せ!」と抗議してきたら、千島列島と交換するなら返還すると応酬すればよいかと思います。

話が政治ブログっぽくなってきたので軌道修正。なにも人間にこだわる必要もないのではないかと思うのです。クールジャパンとかでアニメを世界に!と言っているんですから、それこそ一万円札の肖像画をドラえもんや鉄腕アトムにすれば、世界に対してものすごいアピールができるのではないかと思います。

もちろん、私のオススメキャラはゴルゴ13シリーズの「ラオスのけし」の巻に出てきたバーのバーテンです。

ぜひ、バーのバーテンを一万円札の肖像画に!日銀のみなさん、なにとぞよろしくお願い致します。合掌。

アイアムサム現象

あいさむさむげんしょう【アイアムサム現象】:座席が前過ぎて、めっちょこ観るのがしんどい現象。「昨日行ったお笑いライブがーで、首が痛い。」

こんな言葉、聞いたことがないと思いますが、15年前から私と相方が使い続けている言葉です。二人で『アイ・アム・サム』という映画を観に行ったのです。泉の広場上がる、今はなき梅田ピカデリーへ。

当時は座席指定というのがなくて空いてる席に座るのですが、『アイ・アム・サム』は人気があったのか、ぎゅうぎゅうで一番前の端っこの席しか空いてなかったんです。仕方なく一番前の端っこの席に座ったんですが、当時の映画館はスクリーンがものすごく大きくて、しかも、一番前の座席とスクリーンとの距離がものすごく近い。ぐわっと見上げないと見れないんです。まっすぐ前を向いたら、スクリーンの右下の一部分だけが視野に入るんですが、全体はちっとも見れません。

しかも、字幕です、字幕!英語なんてわかりませんから、字幕だけが頼りなのに!スクリーン全体を見ることができないから、字幕を読むのも大変なんです。目は疲れるし、首は疲れるし、あらすじはわからないし。途中で画面を見ることはあきらめました。だから『アイ・アム・サム』は15年経った今でも、しんどい映画としての認識なのです。

最近はどこの映画館もシネコン化して、逆に「シネコン」という言葉が死語になりつつあるという状況になっています。梅田の北野劇場のような1000人以上が入れる超巨大映画館もなくなってしまいました。

北野劇場と言えば、スクウェアが威信をかけて制作したけどずっこけた映画『ファイナル・ファンタジー』を観に行ったところが北野劇場でした。映画が始まって十数分後、突然ふぁふぁふぁ……って感じで、映画が止まってしまいました。どんなシーンだったかは、これまた15年も前の話なので覚えていませんが、画面は止まり、音声だけが流れるという異常事態に。だんだん、1000人近くの観客が「あれ?おかしくね?」って気付いてくるんですよね。映画館全体に襲いかかるもんにょりした雰囲気。あの雰囲気は北野劇場でなければ体験できなかったと思います。ものすごいもんにょり。

突然、「途中から上映しなおします!」というアナウンスが流れ、途中から見直すことになりました。あらすじなんてちっとも覚えちゃいない『ファイナルファンタジー』ですが、我が人生の中で唯一途中で止まった映画として記憶していたりします。

そういえば『もののけ姫』も観に行ったけど、その時は台風が上陸していて、映画館ガラガラだったという記憶しかありません。どうも、映画そのものを覚えておくハードディスクが壊れているようです。合掌。

自分の常識は相手の非常識、こんなもんは常識だ!

ぽわぽわとテレビを見ていたら、国際政治評論家というおっちゃんがエラい剣幕で吠えてました。

「我々の考える常識というのは、相手国にとっては非常識だったりするんだ!こんなもんは国際政治では常識だ!きみには常識というものがないのか!」

よく言いますね、自分の常識は相手の非常識。北枕は縁起が悪いと考える人と、南に足を向けないと寝られない人が結婚してしまった時の悲劇。お互い自分の常識が通用しないということはいくらでもあります。そういう時はどうするか、国際政治評論家のおっちゃんは実に良いことを言っていました。

「領土問題でもなんでも、相手と向き合い、しっかりと対話をすることが大切なんだ!そんなこともわからんヒヨっ子どもと話などできるか!」

相手をきっちりと理解するため、対話を繰り返す。私たちは、何かとすぐに妥協してでも問題を解決したいと考えがちですが、安易な解決策では、将来に禍根を残すことにもなりかねません。正直、領土問題などは解決などできない問題です。だからといって、対話をあきらめることも、暴力によって解決することも、誰もどちらも望んではいないのです。

「国際政治でモノを言うのは誠実さだ。だから、嘘をついてはいけないし、偽りの姿で相手を騙すなんてもってのほかだ!」

と吠えていた国際政治評論家のおっちゃんの髪の生え際が微妙に浮いていたような気がするのですが、気のせいでしょう。

と、嘘のテレビ番組の話をしれっと書いてしまうぐわぐわ団など、もってのほかだ!という抗議のメールが殺到しております。今から、抗議のメールの供養とお焚き上げでお詫びとさせて頂きます。合掌。

【閲覧禁止】いやらしい実験

ぽわぽわとブログ巡りをしていたら、こんな記事がありまして。

www.kana-ri.com

私としては「アクセス増を狙って【閲覧注意 画像】というキーワードでの流入を見込んだ記事を書いたのに結果として何の効果も無かったね残念」というオチを期待していたのです。

期待に反して「閲覧注意」という言葉が呼び水となって、アクセス数が急増してしまったという内容です。人間の心理を突いたというか、「閲覧注意」なんて書いてあったら読みたくなるというのが人間の心情というものです。

この記事ですが、アクセス数を見る時は「最低数」を意識すべきであるとか、読者数をひとくくりの数字で見ないで、ひとりひとりの読者の積み重ねとして見るといった視点は素晴らしいなと思います。最後のオチがゲスいのもさすがです。

昨今のブログ界隈の「オレ様はPV10万だぜ!」的なPV至上主義の流れには辟易してまして、月初になるとはてなブックマークにじゃんじゃか出てくる「先月のPVと収益報告!」記事オンパレート、どうにかならんかなと思ったりなんかするわけです。ひとりふたりなら別に構わないのですが、みんなで何か悪いものでも食べたのか、熱病みたいに我も我もと報告せんでもええじゃないかと。

ですので、ぐわぐわ団はPV非公開です。そんなことより、読んで笑って楽しんでもらえたほうが嬉しいんです。ぐわぐわしたり、もんにょりしたり。そういう感じでこれからも文章を書いていけたらいいなと思っています。スターもらえたらめっちょこ嬉しいです。はてブコメントもきっちり読ませてもらってます。ひとつひとつに返信したいけど、はてブコメントは返信できないのが残念。記事のコメント欄へのコメントは返信できるので楽しみと嬉しみと。返信が他の方と違って短めだという自覚はあるのですが、照れ隠しだと思ってください。

というわけで、そろそろ本題。【閲覧注意】でPVが増えるのなら、いっそのこと【閲覧禁止】にしてしまったほうがPVが伸びるんだろうなという、人間の心理を逆手に取った実にいやらしい実験を思いついてしまったので、とりあえずタイトルをこのようにしたわけです。ついでに、普段は書かないようなブログ論であったり、コメントへの感謝の気持ちであったり、ぶっちゃけ恥ずかしくて普段は書けないようなことを書かせてもらいました。だから、閲覧禁止。自分だけが心の中でとどめておけばよいこと。こんなものは読まないで『伊豆の魔法使い』を楽しんでください。

閲覧禁止だというのに、読んでしまいましたね……

ということで、実にぐわぐわ団らしくない記事でございました。合掌。

伊豆の魔法使い

ノーベル賞作家の川端康成の代表作「伊豆の魔法使い」、トンネルを抜けるとそこは雪国だったという書き出しから始まるめくるめく淫靡な世界が話題沸騰、山田百恵初主演の映画としても有名です。主人公のドロシーが伊豆の魔法使いとハトヤホテルで大宴会。伊豆の良さをふんだんに盛り込んで、ぐっちょぐちょのスプラッター。カカシとブリキの木こりと臆病なライオンと、伊豆の旅は続きます。カカシが欲しいものは脳!脳!脳!脳!脳!脳!脳!脳!脳!脳!No!

「伊豆の踊り子」から、なぜか「オズの魔法使い」が思い浮かんでしまったので、混ぜてみたのが「伊豆の魔法使い」。「オズの踊り子」ではいまいちしっくりしません。やはり「伊豆の魔法使い」の勝ち。

ノーベル賞受賞の時の川端康成の講演のタイトルが「美しい日本の私」、美しい私を見て!見て!ルック!ルックミー!といった知性の欠片もない内容ではなく、たぶん素晴らしい講演だったのだと思います。見たことないからわからないのです。次に、大江健三郎が「あいまいな日本の私」という、それ川端康成のパクリやん的なタイトルで講演を行ったのですが、そろそろ私にもノーベル文学賞の打診があってしかるべき時期なので、どういう講演にしようか考えなくてはなりません。

「◯◯な日本の私」という形にこだわる必要もないと思います。全世界の注目を浴びる講演ですから、川端康成や大江健三郎に敬意を表しつつも、私としては「カレーライスの食べ方」という講演でお茶をにごしまくるぐらいのことはしちゃってもいいかなと思っています。100均ショップのドン・ダイソーでカレー専用のスプーンを売っていましたので、その話を延々と3時間ぐらい続けるぐらいの覚悟です。スプーン買ってないのは内緒です。最後のオチに使うから内緒!

ノーベル文学賞をもらったら、スウェーデンの王様とごはんを食べたりしないといけないみたいなので、服を買わないといけませんね、ファッションセンターしまむらで。

よくわからないことをぐだぐだと書くのは楽しいです。中身が本当になんにもないのが心苦しいですが、よろしくお願い致します。合掌。