ぐわぐわ団

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ブルマーの由来

あけましておめでとうございます。2019年もぐわぐわ団をよろしくお願い致します。新年なので、ブルマーのことを書きます。

1912年のストックホルムオリンピックで活躍したアメリカ人のマラソン選手、ギャレット・ブルマーが履いて走ったことで世間に広まったと言われています。

当時、男子マラソンの選手はズボンを履いて走っていたのですが、長時間走っていると、どうしてもちんちんが擦れて痛いという問題がありました。特に、大きなちんちんの外国人選手にとっては死活問題で、ガムテープのようなもので固定する者、ベビーパウダーのような粉を使ってさらさらにする者など、さまざまな工夫がなされていたのですが、どれもこれも一長一短でちんちん擦れて痛い問題は解決しませんでした。

そんな中、ぴちぴちの、今で言うブルマーを履いたギャレット・ブルマーが現れたのです。ギャレット・ブルマーは当時の世界記録を2分以上縮める好タイムで金メダルを取り「ギャレット・ブルマーの履いていたのは何だ!」と大騒ぎになったのです。

北京オリンピックで水泳選手が着用していたレーザー・レーサーみたいなものだとお考えください。あの当時、レーザー・レーサーを着用していた選手が次々と世界新記録を打ち立て、一躍大ブームになったのですが、レーザー・レーサーは結局禁止になってしまいました。

話はブルマーに戻りますが、ギャレット・ブルマーによるブルマーショックの後、男子マラソン選手はブルマーを履いてマラソンに出場するようになります。ただ、4年後のオリンピック、ベルリン大会は第一次世界大戦のため中止になったこと、実はブルマーを履いてもちんちんが擦れて痛いこと、見た目がどうしても変態っぽく見えてしまうことなどからブルマーは一気に下火となり、アメリカのブルマー製造会社の倉庫には、大量の在庫が眠ることになります。

その後、第二次世界大戦が終わり、日本に物資を送ることになったとき、脱脂粉乳や小麦粉と抱き合わせで、倉庫に眠っていたブルマーも日本に大量に届けられました。本来は男性が履くものなのですが、どういうわけか、もんぺみたいなものだと勘違いされ、おもに女性が履くようになり、今に至ります。

もちろん全部、ウソっぱちの与太話です。信じてはいけません。合掌。