自分でも何を言っているのかさっぱりわけがわからないのですが、役に立たないほうが役に立つのではないかというお話。
インターネットの普及によって、世の中にはありとあらゆる情報が目に入るようになりました。もちろん、すぐに儲かる美味い話とか、一瞬でフォロワー1万人であなたもインフルエンサーみたいな話はお金を出さないといけませんが(そしてお金を出したところで儲かるのはあなたではなく情報の売り手という極めてもんにょりな事実!)、とにかく役に立つ情報がそこらじゅうにごろんごろんと転がっているのです。
ブログを書く秘訣なんてのも「役に立つ情報を書けばよい」なんて言う人がほとんどですし、こうなってくると逆に「役に立たない情報」のほうが役に立つのではないかとすら思うのです。ぶっちゃけ「役に立つ情報」ばっかりだと疲れるんですよね。いくらありがたいお話であっても、尊い方のお気持ちであっても、疲れるんですよ、役に立つと。恨みつらみや愚痴なんてのは聞いてて疲れますが、一方で役に立つ話なんてのも疲れるのです。
そこで、役に立たない情報や役に立たない文章、すなわち「役に立たなさ」が必要とされるのではないでしょうか。何となくインターネットの情報を浴びていたい、だけど役に立つ情報はしんどい、そういう方々のために「役に立たなさ」を提供することが、インターネットにさわやかな風を吹き込むのではないでしょうか。書いてて本当にわけがわからん。
ぐわぐわ団を楽しみにされている方の多くは「ぐわぐわ団は役に立つからありがたいなぁ」なんてこれっぽっちも思っていないはずで、ぶっちゃけ役に立たないとわかっていて読みにこられているはずなのです。それは「役に立たなさ」を求めているからにほかならないのではないでしょうか。しかし、それは生きる力、すなわちパワーを与えるものでもあるのです。役に立つ役に立たなさがぐわぐわ団において成立するのです。やっぱり書いてて本当にわけがわからない。合掌。