ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

裁判に関して思うこと

同じ仕事をしているのに非正規雇用の人はボーナスがもらえないのは不合理だ!として争っていた裁判の判決が出ました。この判決に関しては専門外ですので私からあーだこーだと言うつもりはありません。

 

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ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば「死刑にならなくてよかった」ということです。民事裁判でなんで死刑判決が出るねん!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、未来のことは誰にもわかりません。一寸先は闇と言います。突然、裁判官が「死刑!」と言ってしまう可能性だってゼロではないのです。それほど、この世の中はわけがわからないのです。

ここは日本だからまだ「死刑!」という可能性はほぼゼロであり、今回の裁判であればボーナスが出るのか、出ないのか、もしくは「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!」みたいな判決が出るのが想定の範囲内ではあるのですが、いざ国外に目を向ければ、首領様のご意向ひとつで死刑になったりならなかったりするところもあるのです。

民事裁判だから死刑判決が出ないというのは、いわば平和ボケしている私たちに対する強烈なアンチテーゼなのかもしれません。強烈なアンチテーゼという言葉を使いたかっただけで、強烈なアンチテーゼが何なのかはわかっていませんが、残酷な天使のテーゼみたいなものだと解釈するのがよろしいかと思います。

エヴァンゲリオンですら、最近の若者は「知らない」と言うようになりました。さっきの「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!」なんて知っている人がどれほどいることでしょう。夢路いとし・喜味こいしが司会の買い物ゲーム番組『がっちり買いまショウ』の有名なセリフなのです。ぐわぐわ団の読者で知らないとは言わせません。1963年から1975年まで放送されていたのです。残念ながら、私はリアルタイムで見た世代ではありませんが、それどころかまだ3歳ですから、いとこい師匠の漫才もリアルタイムで見たことはありません。残念なことです。嘘ばっかし。合掌。

米国大統領選挙

いよいよ米国大統領選挙が近づいてきました。アメリカの宇野宗佑ことドナルド・トランプと、アメリカの鈴木善幸こと何とかバイデンが争っています。いくら何でも「何とかバイデン」は失礼だと思いましたので調べてみましたところ、ジョー・バイデンでした。失礼致しました。おそらく、バイデンはぐわぐわ団を読んでいないと思いますので謝る必要はないのかもしれませんが、読んでいようといまいと失礼と思ったからには謝るという姿勢を大切にしたいものです。もしかしたら、読んでいるかもしれないのです。インターネットというのは世界中に発疹されてるものですから、かゆい。じゃなくて、発信されているものですから、誰もが見ることができるのです、たぶん。

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しかしながら、ジョーだったんですね、バイデン。本気で知らなかった。立て、立つんだ、ジョーのジョーですよ。じょんじょろりんのジョーですよ。ジョーが大統領になるのか、ドナルドがトランプになるのかわかりませんが、次の大統領が私でないことだけは確かです。できることなら大統領になりたいのですが、理想と現実の狭間で苦しんでいるのは私自身なのです。英語が喋れないですし、例のウイルスに感染しても3日で退院しなくちゃいけないなんて大変です。天下一品のラーメンもたまには食べたいけれども、大統領になったら気軽にお店に行けなくなります。お取り寄せをすればよいのですが、やはりお店で食べるほうが美味しい。ような気がする。

しかし、エアフォース・ワンには乗ってみたいです。それがダメならエアフォース・ツーでも一向に構いません。

ちなみに、エアフォース・サウザンドぐらいになるともはや飛行機ではなく、単なる軽トラになるのであんまり乗りたいとは思いません。ミッションだから交差点でクラッチ踏むの失敗してがちゃこんってエンストぶちかます大統領専用車。あまりにもひどい話です。では、今日はこれぐらいにしておきましょう。合掌。 

またつまらぬモノを斬ってしまった

人生で一度は言ってみたいセリフというものがあると思います。そのセリフは人それぞれで、人によっては映画のワンシーンのセリフであったり、小説の中の言葉であったり、「ヤクザだけどクッキー焼いたよ!」かもしれません。

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私が人生で一度は言ってみたいセリフは「またつまらぬモノを斬ってしまった」かな〜と思ったのですが、別にそんなに言ってみたいわけでもないことに気が付きました。

仕方がないので、大阪都構想の話でもしましょう。

前に住民投票で反対がほんの少し多くてやんぴにしたというのに、ぼーっとしていたらまた住民投票をするとか言い出していて、ほんまにええ加減にしてほしいというのが偽らざる本音です。前の大阪都構想とは違う!という話なのかもしれませんが、私は改革とかが好きではないのです。改革というと聞こえはいいですが、ぶっちゃけいうと破壊です。ちょっとずつ、少しずつ、できることから工夫して前よりちょっとだけ良くしていく、この積み重ねで今の世の中があるというのに、突然「改革だ!」みたいな大きなことを言い出して世の中ぐちゃぐちゃにされたら困るのです。

というわけで、大阪都構想のチラシをぼへーっと眺めていたのですが「なぜ住民投票をするのですか?」という問いに対する「大阪市民が損するからです」という答えに合点がいきました。そういやそうだ。大阪市民が得をするなら、わざわざ住民投票をする必要もない話だし、大阪市民が損をするからこそ「痛みを伴う改革」をするのか、しないのかを選ばねばならないと考えるべきなのです。

もちろん、私は「改革」が嫌いですし、「痛みを伴う改革」なんてのはまっぴらごめんです。インフルエンザの予防接種の注射ですらイヤだというのに、痛みを伴う改革なんてのに付き合いたくはないのです。なんか、チラシを見ていると都構想のいいこともいろいろ書いていますが、結局のところ二重行政のどこが悪いのかさっぱりわかりません。大阪のトップはベテラン芸人が担ぎ上げられて何もせずにいるぐらいが平和でよいのです。合掌。