ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

不惑→知名→耳順→従心

孔子のおっさんが年齢に対していろいろと言っているのです。

30にして勃つとか、そういう下ネタは置いといて、今回は40才からを語ることにします。

40才は「不惑」と言います。迷わなくなるそうです。私は平成生まれですのでまだまだ迷いまくりですが、40才になったら迷わないそうです。私の場合は、迷うどころか嘘までつきます。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と申しまして、人生を50年スパンで考える場合、すでに5分の4を経過した時点でようやく迷わなくなったのか……という話ですので、まあよろしいのではないかと思います。

どんどん先に進みましょう。

50才は「知命」です。「致命」ではありません。「致命」だったら死んでしまいます。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と申しまして、人生を50年スパンで考える場合、すでにゴールですので「致命」でも構いません。ただし、『AIR』というゲームのヒロイン、神尾観鈴の最後のセリフ「もう、ゴールしてもいいよね。」を50才のおっさんが口にしてご満悦とかは御免こうむります。最近は50才でも若い部類に入るので、ゴールしないようにしましょう。

60才は「耳順」です。60才になって、ようやく人の話に素直に耳を傾けることができるようになるそうです。逆に60才まで耳順じゃない奴なんて、めっちょこメンドくさいんですが……そして、60才まで耳順じゃない奴は死ぬまで耳順じゃないと思います。ちょっと何か言うと「前例はあるのか!」「俺の若い頃は!」「今の若いもんは!」ですよ。60才で「耳順」など遅い!もっと早くしましょう。

70才は「従心」です。好き勝手しても人としての道理を外れることがなくなりました、ということらしいのです。これも大概な話で、逆に考えたら、好き勝手してたら法律どころか人の道理を外れるんですよ、70才手前のおっさんが。小さいうちにきっちり、してもいいこと、したらダメなこと、そういう人の道理はきっちり教わっておくべきでしょう。こういうのを俗に「しつけ」と言います。70才になってから「従心」なんて言っていたら遅いのです。

というわけで、ぐわぐわ団では70才になったら「従心」ではなく「獣神」になることをオススメします。

♪燃やせ燃やせ、怒りを燃やせ〜

♪廃墟の中から立ち上がれ、ライガー!!!

70才になっても、このぐらいのバイタリティーがないといけません。LET'S ライガーボム!合掌。